前回のつづき。
山種美術館の展示を見た後、近くにある「國學院大學博物館」へ行ってみた。
ちょっと迷って守衛さんに道を伺って大学構内を抜けていった。
ひとつの棟の1階が博物館だった。
入口付近にあった「国学院大學周辺の歴史」
渋谷川を望む東渋谷台地の本学周辺では、縄文時代から古墳時代の遺跡が確認されている。台地の縁辺には、古墳時代の横穴墓群も営まれていた。当館では、國學院大學構内遺跡(渋谷区No.74遺跡)の出土遺物を収蔵する。近世・近代の氷川裏(若木町)、常磐松には薩摩藩下屋敷や、皇室御料地、東伏見宮邸、李鍵公・李鍶公邸、朝鮮人女学生寮の鴻嬉寮なども置かれた。本学は、大正12年(1923)に飯田町から移転し、今日に至っている。
入口の正面にはなんと古墳の石棺が展示されていた。
以下は説明板より。
箱式石棺 千葉県佐倉市大篠塚 大篠塚2号墳出土 古墳時代後期~終末期(6~7世紀)
印旛沼へ注ぐ鹿島川の中流域に所在する大篠塚2号は、古墳時代後期・終末期における全長約30mの帆立貝式前方後円墳である。くびれ部中央に長さ約1.7m・幅約0.75mの箱式石棺は、緑泥片石の板石を6枚組み合わせたものであり、少なくとも3名ほどの人骨が合葬されていた。既に盗掘を受けていたが、直刀・刀子・鉄鏃の残片や、銀環も発見されている。このような例は、「常総型古墳」と呼ばれることもある。
3月13日まで「柄鏡」の企画展を開催中。入館無料!
前方後円墳でも前方部の幅が比較的狭くて裾が広がらないタイプを「柄鏡形前方後円墳」と呼ぶ。
形の因果関係を想像したくなるが、柄鏡は中世後半の出現なので時代が離れすぎる。
それでも、背に模様が描かれた鏡には、副葬品となるほど大切に扱われた弥生時代からの歴史がある。展示品は江戸期の女性たちが毎日触れて見ていたで現物で、意匠も当時好まれたものだと思うととても感慨深かった。
下記は公式サイトより。
国学院大学博物館には、服部和彦氏の篤志によって寄贈された1,000点に近い鏡が収蔵されています。今回はこれらの収蔵品の内から中世後半に出現し、江戸時代を通して一般庶民にまで広く浸透した柄鏡の魅力をご紹介いたします
古代、中世における和鏡の鏡背文様は、吉祥文としての松樹や竹などの植物に加え、鶴、雀などの鳥文を配するという一定のパターンから脱却することはありませんでしたが近世に花開く柄鏡の鏡背文様には、人物、動植物、器物、山水楼閣をはじめ、自由奔放な独自の絵画的世界が採用され私たちの目を楽しませてくれます。
平成27年度 第6回企画展 「花鳥風月 ―柄鏡の美―」 服部和彦氏寄贈コレクションを中心として | 國學院大學博物館 考古と神道で知る日本の文化・歴史
撮影可の体験コーナーもあった。
そしてその奥に、充実の常設展示エリアが広がっていた。考古学系と神道系の2つのエリアがあり、考古学系は撮影可だった。
縄文時代中期の深鉢(馬高式土器、火焔型土器:寄託品) 新潟県長岡市深沢町 岩野原遺跡出土
縄文時代後期・晩期(B.C.2500年~300年)の土偶 秋田県能代市や青森県八戸市出土
縄文期の立派な石棒。
茨城県東茨城郡大洗町 常陸鏡塚古墳(古墳時代前期)出土の勾玉。背面から光が当てられて妖しく輝いていた(かなりアップしています)
群馬や埼玉から出土した埴輪たち。
重要文化財の石枕(のレプリカ)
千葉県市原市姉崎 姉崎二子塚古墳(古墳時代中期・5世紀)の出土。実物は重要文化財。
階段状の側面には直弧文があり、縁に並ぶ穴に立花状の石製品を立てていた。茨城県南部から千葉県北西部に多く見られる「常総型」
姉崎二子塚古墳に行ってからもう3年経ってしまった。
全長114mの美しい前方後円墳だった。
姉崎二子塚古墳 姉崎神社 大覚寺山古墳 千葉市埋蔵文化財調査センター - 墳丘からの眺め
壁には数多くの縄文土器が並ぶ。
こちらは弥生土器。
古墳時代の土器のコーナーもあった。
ぐるりと回っていくと大型の形象埴輪が並ぶコーナーがあった。
背の高い家形埴輪。
前橋市で出土した切妻屋造家形埴輪。
背後の建物部分の上に載せると2mぐらいになるのでは。
山梨県笛吹市御坂町井之上で出土したカラフルな陶棺(古墳時代)
動物埴輪と朝顔形埴輪。
美しい玉や金環などの装身具。左は玉などを磨いた石。究極の手作業では。
凛々しい武人の埴輪。
首飾りのある女子。
神道系(つまり神社や祭祀)のコーナーも大変興味深かったです。
以前に明治大学博物館を訪れたときも充実したひと時を過ごしましたが、國學院も通いたくなるような遺物のワンダーランドでした。
おすすめです。