墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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入谷鬼子母神 正洞院 法昌寺 小野照崎神社 東京都台東区下谷

1月24日、西新井へ行った帰りに入谷で途中下車して鬼子母神へ寄った。

古墳 de コーフンたいけん! まりこふんライブ @西新井ギャラクシティ・こども未来創造館 東京都足立区 - 墳丘からの眺め

 

地下鉄日比谷線入谷駅、2番出口で地上へ。

 

上がると、昭和通り言問通りの交差点。

 

交差点にある「入谷朝顔発祥之地」の碑(右)

左には「入谷乾山窯元之碑」とある。「乾山窯元之碑」|TAITOおでかけナビによると下記の由来。

琳派創始者の画家・尾形光琳の弟で作陶が有名な尾形乾山が入谷に窯を開き、その作品は「入谷乾山」と呼ばれました。

 

そこから60mほどで目的地に到着。山手線鶯谷駅からも400mほど、眞源寺というお寺の中にある。

入谷鬼子母神(いりやきしもじん:実際に用いられている鬼の文字には”ツノ”がない)

 

門前に説明板があった。

入谷鬼子母神 台東区下谷1-12-16 眞源寺内

入谷鬼子母神は、日蓮上人の尊像とともにここ眞源寺に祀られている。眞源寺は、万治2年(1659)日融上人により創建された。

鬼子母神は、鬼神般闍迦(はんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりである。性質凶暴で、子どもを奪い取って食べてしまう悪神であった。釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ、改心させたという。以後「小児の神」として児女を守る善神となり、安産・子育の守護神として信仰されるようになった。

入谷鬼子母神では、子育の善神になったという由来からツノのない鬼の字を使っている。

また、7月上旬、境内及び門前の道路沿いは「朝顔市」で賑わう。入谷名物となったのへ明治に入ってからで、十数軒の植木屋が朝顔を造り鑑賞させたのがはじまりといわれている。当時この地は、入谷田圃といわれ、朝顔や蓮の栽培に適していた。

大正初期、市街化により朝顔市は途絶えたが、昭和25年復活。以後、下町情緒豊かな初夏の行事として親しまれている。

平成6年3月 台東区教育委員会

 

社殿の屋根が隣の建物と交錯していた。敷地をぎりぎりまで活かしている。

 

神輿蔵は樹木優先の仕様。

 

神輿蔵の位置から境内。

 

下谷七福神の福禄寿もおられた。

 

近くに毘沙門天、大黒天、寿老神も。

 

言問通りを隔てた側から。

 

上記の背面にあたる一画を歩いていたら立派な山門があった。

正洞院

江戸初期、佐竹氏が常陸から出羽へ国替えになった年(1602)の前年に、当主の佐竹義宣が、正室・正洞院(1590年没)の菩提を弔うために創建したそうだ。

第4回 広沢山正洞院(こうたくさんしょうとういん) | Tokyo de AKITA 歴史編 | 秋田の塩梅お伝えします。「あきたのあんべ」

 

お寺の周囲をコンクリ塀が囲む。

 

塀の向かいに昔の面影を残すお宅があった。

 

小道を挟んで別のお寺の塀も。

 

塀の先にはお地蔵様が立っていた。

 

その先には毘沙門天のある法昌寺

 

山門の外から拝しただけだったが、こちらの方のブログによれば、たこ八郎さんのお地蔵もあるそうだ。

 

境内には救世観音も祀られていた。

 

早咲き桜はちらほらと。

 

その先の通りで、なんとか外形を保っていたお宅。

 

その隣には大きな神社があった。

 

公式サイトもある小野照崎神社

 

見事な銅板屋根の拝殿。

 

説明板もあった。

小野照崎神社 台東区下谷2-13-14

小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人として著名な小野篁(おののたかむら)である。創祀の年代は不明だが、次のような伝承がある。篁は上野国司の任期を終え、帰洛の途についた際、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。仁寿2年(852)篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀した。その後、江戸時代をむかえ、寛永2年(1625)忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することとなり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷した、というものである。

現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災東京大空襲を免れた。また、境内には、富士浅間神社御嶽神社三峰神社琴平神社・稲荷神社・織姫神社、さらには庚申塔が現存する。

例大祭は5月19日で、3年に一度、本社の神輿渡御が行われる。

平成11年3月 台東区教育委員会

 

小野篁(おののたかむら:802~853)は平安時代前期の公卿・文人で、漢詩や書の達人だった。野狂と称さるほどの反骨精神の持ち主で、小野篁 - Wikipediaには遣唐使での事件など興味深い話が記されている。

参議篁(さんぎたかむら)として小倉百人一首の歌がある。

 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟

 

境内には、お百度石も。

 

西側の参道。石橋もあった。

 

スカイツリーが西日で光っていた。

 

昭和通りに面した三連のお宅も。