前回のつづき。
この日は文京区千駄木の旧安田楠雄邸~台東区谷中の朝倉彫塑館~荒川区西日暮里の富士見坂というルートで歩いた。境が入り組んでいる興味深いエリア。
地図を見ると、台東区・谷中銀座の「夕焼けだんだん」も階段の周囲だけ荒川区・西日暮里なので、地番が付いた後に階段がつくられたことが想像されて面白い。
そこから北に200mほどの場所に富士見坂がある。
煉瓦の壁が素晴らしい。
車も通れる坂だった。
途中から振り返って。春には煉瓦と桜の競演が見られそう。
さらに上の位置から坂下方向。
坂上に説明板があった。
富士見坂
坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称「花見坂」、または「妙隆寺坂」と称された。
都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である【都心にいくつかある富士見坂のうち、最近まで地上から富士山が見える坂でした。「関東の富士見百景」にも選ばれています】
荒川区教育委員会
中央右のマンションが建つ2013年までは坂の上から富士山が望めた。
道沿いのお宅に見えていたときの写真が掲示されていた。
掲示にあったサイトには”守る会”の活動などが詳細に記されていた。
http://fujimizaka.yanesen.org/
坂上からは神社の木立があるほうへ向った。
石柱には諏訪神社だが、鳥居の扁額には諏方神社。
説明板は、諏方(すわ)神社とあった。
諏方神社(すわじんじゃ)
信濃国(長野県)上諏訪社と同じ建御名方命を祀る。当社の縁起によると、元久2年(1205)、豊島左衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)の造営と伝える。江戸時代、三代将軍徳川家光に社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰をあつめた。
旧暦7月27日の祭礼では、囃屋台・山車をひきまわし神輿渡御(とぎょ)が行われた。神田芋洗橋までかつぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒をそなえて帰座したと伝えている。
拝殿の脇には元禄12年(1699)銘・元禄14年(1701)銘の燈籠型の庚申塔が並んで建てられている。荒川区教育委員会
8月27日の例大祭には百軒ちかくの露店が並ぶそうだ。諏方神社
参拝後、拝殿の左手奥を見ると石碑のようなものが。
御嶽山大神を祀っていた。こちらにも参拝。
拝殿の右手にも小さな祠があったので参拝した。
祠の右手は崖で、下には山手線が通っていた。
今は静かな境内。
崖下に下りていく坂があった。
地蔵坂。説明板もある。
地蔵坂
この坂はJR西日暮里駅の西わきへ屈折して下る坂である。坂名の由来は、諏方神社の別当寺であった浄光寺に、江戸六地蔵の三番目として有名は地蔵尊が安置されていることにちなむという。荒川区教育委員会
斜めに張り付く坂の先には西日暮里駅。
トンネルは駅入口ではなく、くぐって商店街を抜けた先にあった。
ちなみに日暮里駅と西日暮里駅との距離は500mほどで山手線では最も駅間が短い。
東京駅なら中央線ホームから京葉線ホームへの乗り換え距離ぐらい。
こちらに”実証レポート”があった。