墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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朝倉彫塑館 東京都台東区谷中

前回のつづき。

夕焼けだんだんから台地上の十字路を南に向ってすぐ、日暮里駅からも200mちょっとの場所に朝倉彫塑館(ちょうそかん)がある。

 

朝倉文夫(1883年~1964年)は大分県豊後高田市(現)生まれ、東京美術学校卒の彫塑家(彫刻家)で代表作は「墓守」(1910年)、日本の彫塑界をリードして1948年に文化勲章を受章。Wikipediaには「東洋のロダン」とあった。舞台美術家・画家の朝倉摂、彫刻家・朝倉響子の父。

 

建物は昭和10年(1935)竣工。

 

台東区による詳しい説明板もあった。

朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん:国名勝・国登録有形文化財

台東区谷中7-18-10

近代日本を代表する彫塑家、朝倉文夫(1883~1964)の邸宅兼アトリエである。

朝倉は明治16年大分県で生まれ、同40年、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科を卒業後、当地に住居とアトリエを新築した。その後改築、増築を繰り返し、現存の建物は大半が昭和10年の竣工である。すべて朝倉が設計し、銘木、竹などの材も自ら選んだ。庭との一体感に配慮した独特の空間意匠、造詣が追求され、随所に彫塑家朝倉の個性を見ることができる。

中庭は、木造和風の住居棟と近代洋風建築のアトリエに囲まれた日本庭園で、空間の大半を水面が占めている。水面に配された5つの巨石が密度の濃い水景を創り上げ、朝倉の藝術思想の特質である自然観をもうかがえる。屋上庭園は、かつて、朝倉が昭和2年に自邸とアトリエにおいて開設した「朝倉彫塑塾」の塾生が蔬菜を栽培し、日常の園芸実習の場として使われた菜園であった。昭和初期に遡る屋上庭園の事例としても基調である。

昭和42年、故人の遺志によって一般公開され、同61年には台東区に移管され「台東区立朝倉彫塑館」となった。

平成13年、建物が国登録有形文化財に、本館所蔵の文夫の代表作「墓守」の石膏原型が重要文化財指定を受けた。同19年には、建物と庭一帯が国名勝の指定を受けた。

平成20年3月 台東区教育委員会

 

アトリエ建物は鉄筋コンクリート造り。角の壁面はやわらかいカーブ。

 

 屋上に置かれた作品は「砲丸」

 

玄関前に置かれた作品。はじめは小動物の群れかと思ってよく見てうわっとなった。

 

入館料は大人500円。

館内は撮影不可だったが、こちらの台東区のサイトに写真がある。

朝倉彫塑館に美を見る

 

玄関を抜けてはじめに入る旧アトリエは吹き抜け天井のホール。その場所に「墓守」や「大隈重信像」が置かれるが、訪ねたときは巨大な小村寿太郎の座像が中央でオーラを放っていた。

ワシントンDCのリンカーン像は5.8mだそうだが、こちらも5m近くはありそうな巨大な像。FRP製だが銅像のような色合い。動き出しそうなリアルさがあった。

 

あえて彫塑(ちょうそ)という言葉を使っている理由はこちらに詳しい。

台東区文化ガイドブック・朝倉彫塑館を歩く

塊を彫って削って引き算で中の像を造る「彫刻」に対し、骨組みに縄を巻いて粘土を加えて足し算も行なうのが彫塑。朝倉文夫は、師の大村西崖の彫塑論を受けて彫塑という言葉にこだわりを持っていた。

 

洋館アトリエの後ろに数寄屋造りの旧住居部分がある。谷中の湧水を引いた池のある庭園を囲むように造られていた。

 

木造旧住居の風情ある玄関は谷中霊園側を向く。

 

こちらは屋上庭園からの眺め。裏手(東側)は谷中霊園

 

こちらには「砲丸」以外の作品も置かれていたが、館内撮影不可だったので、外の景色だけ。スカイツリーからも視認できるのだろうか。

 

 西側は不忍通りまで下って再び本郷台地に上がる。

 

南側の眺め。昭和10年の竣工当時は、ここが周囲で最も高い、360度見渡せるスカイツリーのような場所だったのではないか。

 

朝倉彫塑館は、作品群はもちろん建物や庭も屋上からの眺めも、さらには壁一杯に納められた蔵書も大変見ごたえがあった。

朝倉文夫 - Wikipediaという人物についても略歴を読んでとても興味をひかれた。

 

ガイドツアーやバックヤードツアーも開催されているので機会を見つけて再訪したい。

朝倉彫塑館