1月10日に立川へ行った際に付近の民俗資料館に寄った。
病院があるのは南武線の西国立駅だが、資料館があるのは青梅線の西立川駅。
中央線から直通する民家の裏のような路線を1駅乗り、駅から南へ15分ぐらい迷いながら奥多摩街道に出たところで看板を発見。
台地の下へ降りていく。ここは立川崖線。
右に左に折れる坂道を降りていく。
周囲は立川市富士見緑地という公園だった。
台地上との比高差は15mくらいか。
そのまま台地下を道なりに100mほど行くと目指す資料館があった。
敷地内には蔵があった。
説明板もあった。
井上家土蔵
この土蔵は、資料館の敷地とともに、井上重雄氏から寄贈されたものです。江戸時代に建てられたと推定されます。
当初は、資料館の南側にありましたが、資料館の建設工事の際に、現在地に移築し、補修しました。
土蔵は、外の温度や湿度に影響されにくいので、現在も収蔵庫として利用されています。
昭和60年12月1日 立川市教育委員会
立派な井戸も。
資料館の敷地は江戸時代初めから400年にわたりこの場所に住んできた井上家(資料館隣のお屋敷の表札も)の寄贈によるものだった。
立川市歴史民俗資料館は昭和60年(1985)に開館している。
入館無料。
展示室は一部屋で、古代、中世、近世、近現代、養蚕や機織り道具、漁具、立川の自然というテーマにわかれコンパクトにまとめられていた。
国宝の六面石幢(せきとう)のレプリカ。
立川市内唯一の国宝で実物は柴崎町4丁目の玄武山普済寺にある。延文6年(1361)に、普済寺の開山・物外和尚の弟子、性了(せいりょう)が建てたもので高さ166cmある。四天王と仁王が描かれた6枚の緑泥片岩(秩父青石)が組まれた上に六角形の笠石と宝珠を載せている。
普済寺は江戸名所図会にも描かれた名刹。
古代のコーナーは縄文土器も充実。古墳関係の資料展示は見当たらなかった。
鎌倉~室町期の板碑。
この「立川村十二景」(作:馬場吉蔵)が非常に興味深かった。
明治30年代の立川村の様子が、その場所が特定できるほど写実的に描かれている。
養蚕関係の道具類。群馬~埼玉~立川と養蚕のエリアの連続性を実感した。
立川市の歴史民俗案内図。資料館の位置は左下のはじっこ。
中央やや左下のエリア、普済寺のあたりは水路もあって面白そう。
先の公式サイトを見ていたら立川市民俗資料館発行の「資料館だより」があった。
「五鉄跡(五日市鉄道廃線跡)を歩く」という、地図や写真が豊富な記事があって思わず引き込まれた。
資料館見学後は再び富士見緑地へ。湧水池があった。
崖沿いに気になる階段があったので上ってみた。
フェンスに囲まれた民家裏の空き地だったが出入口はなかった。もしかして台遺跡(縄文期)?
もう一度資料館の方へ戻って、気になる坂道を上がってみた。
途中で振り返ったところ。
台地上の道に出ることができた。木々越しになかなかよい眺めがあった。
帰りは「常楽院前」からバスで立川駅へ向かった。バス通り(奥多摩街道)沿いの建物上にミゼットがあった。