墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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清風亭 埼玉県深谷市

前回のつづき。

誠之堂の煉瓦壁を堪能した後、お隣の清風亭を見学した。

以下は現地説明板より。

清風亭(せいふうてい)

この建物は大正15年(1926)に第一銀行2代目頭取、佐々木勇之助の古希(70才)を記念して、現在の東京都世田谷区瀬田に在った銀行の保養施設「清和園」内に建てられました。設計は銀行建築に活躍した西村好時(よしとき)、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。

建築面積は168.48㎡、棟までの高さは5.836mを測ります。構造は鉄筋コンクリート造、外観は人造石掻落し仕上げの白壁にスクラッチタイル(ひっかき傷をつけたタイル)と鼻黒煉瓦(黒褐色のれんが)がアクセントをつけ、屋根には瑠璃色の釉薬をかけたスパニッシュ瓦(スペイン風を模した丸瓦)が葺かれています。大正12年(1923)の関東大震災を契機に建築構造の主流となった鉄筋コンクリート造の初期の事例として、建築史上貴重な建物です。

平成9年(1997)、取壊しの決定に伴って深谷市が譲り受け、平成11(1999)当地に移築、平成16年(2004)3月23日、埼玉県の有形文化財の指定を受けました。

 

柱やアーチの縁がスクラッチ煉瓦で装飾されているが、その長さがところどころ短くなっている。ランダムだが全体で統一が取れていて明るい雰囲気になっている。

 

雨樋が軒の下に組み込まれている構造。

 

いただいたパンフによれば、西村好時(1886~1961)は田辺淳吉の推挙で清水組に入って田辺の片腕となり、後に第一銀行建築課長に就任して銀行建築の第一人者として活躍した。

東京丸の内の第一銀行新本店を始めとする一連の第一銀行の建物、支店長社宅、証券会社建築等の銀行関連施設を手掛けた。また、東京三田の渋沢栄一や渋沢敬三の邸宅(現在青森県三沢市に移築)も西村の設計によるとのこと。

 

自分はここで初めてその名を知ったが、西村好時 - Wikipediaを見ると、いくつもの著名な建物を手掛けられたことがわかる。

旧第一銀行の支店としては、横浜支店(現、横浜アイランドタワー)や釧路、熊本、京都丸太町、京都西陣、台北や長春に現存する。

 

港区三田にあった旧渋沢邸は1991年に青森県三沢市に移築されたが、渋沢栄一が東京に構えた6ヶ所の本邸のうち唯一現存するもので、明治11年(1876)深川福住町に清水組二代目の清水喜助が建て、1908年に三田綱町に移築後1929年に西村好時の設計で洋館が増築された。

プロジェクト紹介「第1回 旧澁澤邸解体および移築工事」/文化遺産の保存・再生−清水建設

 

現在は星野リゾート青森屋の敷地内(見学自由)となっている。ぜひ行ってみたい。

施設案内|【公式】星野リゾート 青森屋

古牧温泉渋沢公園 観光 クチコミガイド(2ページ)【フォートラベル】

 

波打つ瓦は丸瓦が上向き下向き交互に使われている。

 

テラスの中。

 

アーチの先は今はグランド。

 

テラス側のガラス扉から中へ入る。

 

家具は修繕してあるが当初のものだそう。

 

外のデザインもそうだが、中も開放的な雰囲気。

 

2層のシャンデリア。

 

照明は壁にも。

 

アーチ型の暖炉。

 

側面2ヶ所に三連窓。

 

微妙にカーブを描く出窓になっている。

 

出窓の外側。

 

トイレへ続く部屋。

 

仕切り板は厚みのある石製だった。

 

”大”の方はまるで懺悔室のような重厚な造り。

 

握りやすい形のドアノブ。

 

テラスと逆の側。

 

波打つ屋根瓦は駐車場の方から見えた。

つづく。