前回のつづき。
石洞美術館のある千住金属工業の裏の小道を進むと神社の境内に出た。
橋戸稲荷神社 解説板もあった。
橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵
登録 昭和57年12月
当社は、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請した延徳2年(1490)の創建という。もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。
江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に、上流の飯能・秩父・川越方面から物資が陸揚げされ、この辺りは継場として栄えた。
文禄3年(1594)千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集め今日に至った。
文久3年(1863)拝殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白狐が彫刻された。伊豆長八の作品として、数少ない貴重な遺作である。
平成16年3月 足立区教育委員会
石段前の両脇には大きな岩の上で狐様が躍動していた。
拝殿にガラスケース入りで飾られていた伊豆長八の鏝絵。
150年ほど前のものなのに作りたてのようだった(レプリカかも?)
お菓子のようでもあった。
平成になって立てられた石碑。伊豆長八の鏝絵は土蔵作りの内扉に嵌められていた(いる?)
ということは、品川の寄木神社で拝見したかたちと同じ。
「しながわ魅力発見ツアー 江戸時代の海岸線跡を歩く」・5 寄木神社 石積護岸 南品川宿問屋場・貫目改所跡 @品川区 新馬場駅界隈 - 墳丘からの眺め
鏝絵が飾られているのは拝殿前扉の左右。
神社の並びは廃品回収の店。
細道を進むと、隅田川の堤防への上り口があった。堤防の上から千住金属工業方向を振り返って。
堤防から川沿いの散歩道に降りたところ。きれいに整備されているのは、新しいマンション(右側)ができたからか。親子連れがくつろぐ平和な風景だった。
この方向、隅田川の上流400mくらいに、重要文化財建築物が残る三河島水再生センターがある。
川面は穏やかだった。
下流方向、手前にはアーチのきれいな橋(人は渡れない)
その奥は千住大橋で、左岸には散歩道が続いていた。
散歩道を下流へ進むと堤防に江戸後期に書かれた川と橋の番付表の拡大レプリカが掲示されていた。
橋番付
河番付
千住大橋の下には屋形船乗り場があった。
その背面には「千住大橋際歴史資料空館」
千住大橋にまつわる解説が書き込まれていた。
こちらの壁には与謝蕪村が描いた松尾芭蕉と、奥の細道の一節。
千住大橋に並行する水道橋。
千住大橋の北行き。
下から見上げる親柱。
橋下で荷重を支えるアーチ下部。