前回のつづき。
ツアーの休憩場所となった聖蹟公園はかつての品川宿の本陣跡。
地面に置かれた配置図。幾部屋もある大きな建物であったことがわかる。
上の写真は中央の縁側あたりから庭を向いた方向。
庭の名残りらしきスペースもあった。
説明板もあった。
品川区指定史跡 東海道品川宿本陣跡
所在 北品川2-7-21 聖蹟公園
指定 昭和53年11月22日(史跡第7号)
品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡であり、品川三宿の中央に位置していた。東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休憩所として大いににぎわったところである。明治5年(1872)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。
現在、跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。
平成14年3月28日 品川区教育委員会
御聖蹟の碑。
ツアー再開。一行は、こんなところに出入り口がと思える方向へ向かう。
背丈ほどの高低差に沿って進む。
路地を抜けた先にあった駐車場。
煉瓦塀の一部がブロック壁と石壁の間に残っていた。その先は、旧東海道の一本東側の小道を進んでいく。
途中の旧東海道側へ向かう横道。ゆるく上っていくのがわかる。
あちこちに、”トマソン”物件が。
堂々とした石壁。
上の石壁の背面。結構奥まで続いていた。
道はマンションに突き当たった。右に折れて振り返ると旧東海道への上り。
曲がったすぐ先には幅広の八ツ山通り。ここも旧目黒川跡。通りに沿って北へ向かう。
こちらは天理教の建物のようだ。
途中で細長い公園に入った。
この「品海公園」は旧東海道側まで続いていた。
小雨模様で人通りが少なかった旧東海道。
公園内にあった説明板。
海岸石垣の名残
江戸時代の東海道は、品川宿に入ると海に近くなり、宿場通りから海岸の方へ行く横町は全て坂になっていました。
昔の海岸線には護岸のための石垣が築かれていました。江戸時代には、ときどき波浪によってこの石垣が壊され、宿場にとって修復は大変な負担となりました
今は別の役目を果たしている石垣の名残り。
表面にはノミで打ち欠いたような跡がある。
東海道側から離れるに従って石垣が高くなる。
ここは背丈以上の高さに積まれていた。
つづく。