墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新坂(権現坂・S坂) 根津神社 東京都文京区根津

前回のつづき。

求道会館を見たあと、日暮れまでもう少し時間があったので根津神社へ向った。 

地下鉄東大前駅まで戻ってさらに北の方向へ。東大弥生キャンパス沿いを時計回りに回っていく形。

 

東京聖テモテ教会がある角を曲る。

 

その先によい雰囲気の坂があった。

 

3つの名を持つ坂だった。

新坂(権現坂・S坂)

本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現〈根津神社の旧称〉の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。

森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。

旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説「青年」を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。

根津神社社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。

文京区教育委員会

 

 坂下で鳥居をくぐれば根津神社の境内。清清しい気が感じられた。

 

以下はWikipediaより。

現在の社殿の創建は、宝永3年(1706)

前年の宝永2年に五代将軍綱吉の養嗣子に家宣(六代)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営された。

権現造(本殿、幣殿、拝殿が一体の構造)の傑作である社殿と、唐門・西門・透塀・楼門がセットで残り、重要文化財に指定されている。

 

荘厳な楼門。300年以上の時を経ている。

 

 唐門をくぐり拝殿に向かうと、七五三詣の最中だった。

 

神社の西側の斜面はつつじが一面に植えられており、春はつつじまつりで賑わう。

文京区 文京つつじまつり

 

斜面を少し上がったところに、鳥居のトンネルがある。写真を撮っている外国の方が数人おられた。

 

 鳥居の先には、徳川家宣の胞衣塚があった。

 

詳細な説明板。

 

横から見た社殿。手前の透塀(総延長200m)も重要文化財。着物のカップルが散歩していて、江戸~明治風にだった。

 

他の場所から移された庚申塔があった。

 

こちらも詳細な解説があった。寛永9年(1632)建立の庚申塔もある。

 

境内にある摂末社のひとつの乙女稲荷神社。手前には池がある。

台地先端の崖下は水が湧き出る場所。

斜面の上は文京区弥生であり弥生土器の名前の由来となった場所。古から人が暮らし湧水に感謝の祈りを捧げてきた神聖な雰囲気が感じられた。

 

不忍通りに出て根津駅へ向かう途中にあった長屋風店舗。