墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

川口の街 本一通り界隈・3 埼玉県川口市本町

前々回にも載せた川口の本一通り付近の案内図(赤羽岩淵の荒川知水資料館のもの)

 

通りの中ほどの薬局から、北の端の福田屋洋品店まで歩いて来たので、今度は南半分へ。

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その前に案内図にあった「亀の湯」を探したが見当たらず。その跡地かと想像される駐車場と新らし目のマンション(実際は違うかもしれません)

 

検索したらこちらの方のブログに、時間が止まったような写真と詳しい解説があった。大工の棟梁が創業し大正期に建てた「斬新な」建物だった。

亀の湯 銭湯ミュージアムネット版 (川口市本町一丁目)

 

こちらのサイトによれば、2008年9月ごろに廃業となったようだ。

埼玉県の銭湯(公衆浴場・お風呂屋さん) 全軒一覧 銭湯・奥の細道 (東北の銭湯巡り) 【TRIBE!】

鋳物工場が少なくなってマンションになり、人口は増えたが銭湯のニーズはなくなったということ。 

 

周囲をうろうろしながら通りの南半分へ。塀や茂みから気になる建物が顔を出していた。

 

こちらは煉瓦モノ。

 

窓に鉄格子がついた建物。

 

本一通りの正木屋という洋品店は、西日を避けながら営業中。

 

正木屋さんの斜め向かいあたりの路地の先に立派な門が見えた。

 

煉瓦塀もあった。一本西側の通りから見えた洋館の玄関口はこちらだった。最初の案内図にあった「洋館の永瀬邸 発電所跡」だと思われる。

 

門の前まで行くと、道は左に続いていた。

 

その先には美しい建物があった。さきほど三角屋根部分だけが見えた重厚な煉瓦造り。

これが「発電所跡」か?

 

仕切りがないので奥まで行ってしまった。

 

壁の上側がモジャハウス風。

 

建物の前は土の細道。

 

本一通りに戻ってすぐ右手、案内図にあった五十嵐理髪店だと思われるがサインポールは回っていなかった。

 

さらに50mほど南へ進んだ先、明治牛乳の販売店のある路地。

 

その向かいには立派な門があった。案内図にあった川口宿本陣跡。現在は個人のお宅で説明板等はない。

 

 門の左側の木はざくろだった。実がなっているのを初めて見た。

 

案内図にあった浜田接骨院

 

南側には煉瓦塀もある。

 

 一時的に休診中だった。蔵がイベントギャラリーになっているとのこと。

蔵・浜田−浜田鍼灸接骨院【川口市/川口駅:鍼灸院:整骨院】

 

蔵の裏の細道にも味わいがあった。

 

道の途中にあった小さな鉄塔。

 

細道を抜けると大きな工事囲いがあった。

 

こちらにも10階建てのマンションが建つ。

 

本一通りを南端の荒川土手から見たところ。

 

上記写真左手の信号のある角には「鎌倉橋」の碑があった。

 

碑のそばにあった説明板「日光御成道と鎌倉街道」 左が北になる。

日光御成道は中世の鎌倉街道中道をもとにして整備されました。鎌倉街道中道が通っていた頃より、この地は奥州への要所でした。「義経記」には、源義経が奥州から鎌倉に向う際に小川口(現在の川口市)で兵をあらためたと記されています。

御成道が将軍社参にふさわしい道として整備されたのは寛永年間(1624~44)といわれています。

荒川北側に小川に架かっていた土橋は鎌倉橋を呼ばれ、江戸時代においても重要な橋の一つで、たびたび修築を加えられ昭和初期まで残されていました。しかし、荒川の河川改修などにより消滅し、現在はこの緑地内にかつての橋の存在を記念して、石碑が建てられています。

絵図は錫杖寺の銅製案内版にあった永瀬祥治家文書(文政4年)のもの。街道(本一通り)をかつて何本もの小川が横切っていたり、通りの西側にかなりの数の家並みがあったことがわかって興味深かった。

 

本一通り突き当たり土手の上には川口市立南中学校。隣に舟戸小学校もある。

この先が荒川で、かつては赤羽岩淵への渡し舟があった。

つづく。