墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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渋沢資料館「私ヲ去り、公二就ク~渋沢栄一と銀行業」展 紙の博物館

前回のつづき。

古墳を堪能した後に渋沢資料館へ。

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当日は10月3日で、企画展「私ヲ去り、公二就ク ~渋沢栄一と銀行業」が始まった日だった。

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渋沢栄一は天保11年(1840)現在の埼玉県深谷市に生まれ昭和6年(1931)没。

明治の始めに銀行を設立し、日本に金融を根付かせて近代化の基礎を築いた「日本資本主義の父」。第一国立銀行や東京証券取引所などの他、多種多様な企業の設立・経営に関わった(渋沢栄一 - Wikipedia

先日訪ねたガス・ミュージアムで、東京瓦斯会社の初代社長が渋沢栄一であったことを知ったが、設立に関わった企業は他に、東京海上火災保険、王子製紙、東京急行電鉄、太平洋セメント、帝国ホテル、京阪電気鉄道、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、など500以上になるそうだ。

 

渋沢資料館の展示は、尊皇攘夷運動に関わろうとしたり、徳川慶喜の幕臣となり、パリ万博へ渡航、大蔵省に入り4年後に退官し実業界で活躍したという全般的な内容と、国立第一銀行の設立のあたりにスポットを当てた今回の企画内容とが豊富な資料で展示されていた。

 

あまり時間がなかったので資料を眺めて見て回った程度。が、興味深い内容だったので図録を買ってしまった。

 

栄一が、西欧の金融制度をそのまま輸入したのではなく、「掛屋」や「札差」など江戸時代の金融も学んでいて、それを育成して近代的な金融制度の定着をはかっていた、ということを知ることができた。

 錦絵によく登場する国立第一銀行の建物関連の展示も面白かった。

 

 

「渋沢資料館」を出たのが16:30少し前。

となりに「紙の資料館」があり、こちらもこの日は無料開放日でぎりぎり入れる時間だったので入館した。

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この日すでに2万歩越えていたので、じっくり見る余裕がなかった。

 新聞巻取紙。760kgあって長さ10.92km。40頁の新聞で4000部分になるそう。

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展示室が3つの階に分かれているが、入口の下の階に「明治初期の製紙工場の門扉や紙商の看板、石碑などを展示するコーナー」があったことを後から知った・・・

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外の児童公園ではミニSLが走っていたようだが撤収準備中。最後に小さい子供達が汽笛を鳴らさせてもらっていた。

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 公園の大型遊具は葺石?もあってちょっと円墳風。

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実物SLは大きい子供たちの探検基地のようになっていた。

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 SLと向かい合うように懐かし型の都電。

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説明板もあった。

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帰り道は王子駅の東口へ崖を降りていく。

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美しいアーチの跨線橋がかかる。

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橋上から南側(上中里駅)方向。右から3番目の線路が気になった。

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跨線橋から線路の狭間を降りると改札口がある。

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ホームからは、さきほどのアーチ橋の全容が見えた。右全体が飛鳥山。

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