市川市にある学校(市川学園)の文化祭見学(の送り迎え)ついでに、学校の北側に広がる「調整池緑地」を歩いた。
北方町は「ぼっけまち」という難読地名。
によれば、地名の由来はいくつかの説があるようだ。
・崖の意味である「ほき」が訛って「ぼっけ」となった。
・当地に住んだ閑院家の呼び名が北家(ほっけ)であったから。
・中山領主の北の方が住んでいたことから北方と呼ばれていたから。
・近くの法華経寺の法華から
ちなみに、中山競馬場の横を通る県道180号にも「北方(ぼっけ)十字路」という交差点がある。
近くに市民プールがあって、JR総武線本八幡駅からバスに乗って「市民プール前」で下車すると近いが、JR武蔵野線市川大野駅や船橋法典駅から歩いて30分ほどなので散歩でもよいかも。
ビジターセンターがあって駐車スペースもある。
大柏川第一調節池緑地は、大柏川(おおかしわがわ)の「調節池」と「緑地」を兼ねる施設。2007年(平成19年)6月30日に開設。面積約16ha、貯水能力25.4万立方メートル。
16haという面積は、日比谷公園や小石川植物園と同じくらいになる。
樹木がなく、調整池として普段は水面が低い位置にあるので、ビジターセンター前からは大きく広がる空、緑と水面の眺めが得られる。
いい場所にベンチがある。
園内は立入禁止区域(下記の赤いエリア)、立入制限区域(黄)、活用ゾーン(緑)に分かれている。活用ゾーンに観察路が付いていて歩いて回ることができる。
観察路から見たビジターセンター。
ビジターセンターには、地形や遺物、生物に関する興味深い展示もあった。
調節池からは縄文時代中期の土器片(漁具のおもり)が見つかっている。国指定史跡の姥山貝塚(縄文中期~後期:3000~5000年前)はここから約1kmしか離れていない。パネルには、ここで縄文人が漁をして姥山の集落で加工し貝塚をつくったと推測される、とあった。
出土した貝の展示。合わさったままの2枚貝が多く出土するのは、大きな洪水で埋まったと考えられるそうだ。
5000年前は東京湾に直接面していたこと、3000年前には現在総武線がその上を通っている砂州が形成されていたことが示されていた。
また、この場所は昭和40年代までは水田(深田)だったとのこと。
外へ出て、逆コの字型の活用ゾーンの観察路を歩いてみた。
葦が繁る水辺。
観察路は気持ちの良い土の道。
ところどころぬかるんだ場所もあった。
段々畑のような形で、水を溜めていた。
風が吹くとそよぐ葦原。
南端のビジターセンターから最も離れた場所。出入り口はビジターセンター側一ヶ所なので折り返す。
下記の足元に木製のベンチがあるが、写真を撮っていて思い切り「向こう脛」をぶつけ8mmくらい(多分)のコブになった。
ちょっと沈んだ気持ちを水辺で癒した。まあコブくらいでよかったなどと思いつつ・・・
晴れなら空を映すのではないか。
増水時に大柏川から水を誘導する堰堤部分。
右に流れるのが大柏川。
水鳥が沢山休んでいた。
上記の反対の上流側。
電柱で休んでいた一羽。