墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「大東亜戦争 敗北の本質」 杉之尾宜生著

 著者は元防衛大学助教授で、過去に「失敗の本質」や「戦略の本質」「撤退の本質」などを著された(いずれも共著)杉之尾宜生氏。

大東亜戦争 敗北の本質 (ちくま新書)

大東亜戦争 敗北の本質 (ちくま新書)

 

 

名著「失敗の本質」はかつて読んだことがあり、兵站や情報を軽視した日本軍中枢の犠牲になった前線兵士の多さに愕然とした覚えがありますが、本書でも具体的事例(共有すべき失敗事例)が読みやすく新書版にまとめられていて、再び暗澹とした気持ちになりました。

著者が強調されているのは、日本政府に戦争遂行の戦略がなかったこと、日本軍の作戦が場当たり的で、失敗に学ばないどころか隠微したことでした。

特に最終章で触れている「海軍乙事件」や「大陸打通作戦」は衝撃的でした。

 

あとがきに「大東亜戦争の敗北の本質を知り、これらの教訓を活かすことが、先の戦争で亡くなられた300万人の方々の命を無駄にしない、現代を生きる我々の責務だと信ずるのである」とあるが、全くそのとおりだと思います。

さらに、それは「日本人の考え方」の特性につながるものであり、現在の官僚やマスコミも同様の問題を抱えているのではないかという指摘(P168)は、自分にも当てはまるかも知れないという思いになりました。

 

「希望的観測」の蔓延は徐々に悪化しているようにも思えます。右派は右派の、左派は左派のこうなってほしいの視野狭窄、「○○は攻めてはこない」「○○はいずれ崩壊・分裂するか民主化する」「□□は事が起これば守ってくれる」等になっていて、本来想定されるべき事柄も考えの範囲の外側に置きざりになっているように思います。

外交だけでなく、自然の脅威も(しばらくはないだろう)、財政や少子高齢化課題も後手後手で、巷で事件事故が起こった後も、次にどう備えるかの本質が検討される前にもう次の案件に移っているような気がします。

 

著者の指摘のとおり、本質は変わっていない。

「日本は負けたため、陸海軍の重要書類・機密文書はすべて占領軍に没収された。その3分の1ほどは日本に返還されたが、残り3分の2は依然アメリカにある。それらをすべて調査すれば、戦争の全貌ならびに日本人固有の思考様式・行動様式が白日の下に晒されることになるだろう」(p168~169)という指摘もありました。

 

手遅れになる前に、さまざまな機会が活かされることを祈ります(祈るだけではだめですか・・・)