前回のつづき。
小木港から車で10分ほど西へ向かうと道路沿いに異様に大きな木造建築があった。
佐渡国小木民俗資料館・千石船展示館 大人500円だが、宿根木4館共通チケット(
同1000円)を購入した。
江戸時代の千石船を復元した展示館。
千石船は、江戸時代後期に大型化した弁才船(戦国時代から江戸時代、明治にかけて国内海運に広く使われた大型木造帆船)で、北前船(西廻り航路:上方~北陸以北)や菱垣廻船(上方~江戸)、樽廻船(上方~江戸、積荷が主に酒、後に菱垣廻船を吸収)として使われた。Wikipediaの弁才船 、菱垣廻船より。
佐渡の宿根木には中世から港町があり、近世には北前船の寄港地となって江戸後期から明治初期にかけて隆盛を極めた。
陸運が発達しなかった江戸時代までは水運が物流の主役。その後の鉄道にその座を奪われ、今ではトラックになってしまったが。
中に入って船尾側から。宇宙船の格納基地のような印象。
千石船の原寸大での復元は、 Wikipediaによれば他に国内で3ヶ所あったが、そのうち2つは最近閉館したばかりだった。
・みちのく北方漁船博物館【閉館しました】青森県青森市に帆走も可能な「みちのく丸」があったが昨年2014年に閉館した。
・淡路ワールドパークONOKORO 兵庫県淡路市の「辰悦丸」は残っているが、鉄船に木の板を張るなどしたもので帆柱も極端に短いなど正確なレプリカではないようだ。
・「なにわの海の時空間」大阪府大阪市にも全長約30mの千石船(菱垣廻船)が復元されていたが2年前(2013年)に閉鎖した。
大阪市 港湾局 【報道発表資料】「なにわの海の時空館」を閉館します
閉館後の船の行方が気になるが、当時の素材で復元された千石船はここ宿根木でしか見ることができない。
千石船「白山丸」の解説板
千石船「白山丸」
全長:23.75m、最大幅:7.24m、艫高:6.61m、積石数:512石積(約77t積)
安政5年(1858年)に、当地小木町宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の板図(設計図)をもとに忠実に実物大に復元し、地元の白山神社にちなんで「白山丸」と名付けた。
階段を上がって甲板へ。船首方向。
船尾方向。帆柱は横置きに格納されていた。
屋根の下の船内。かなり広く感じた。
以下はいただいたコピーから。
宿根木で初めての新造船
宿根木は、中世(鎌倉・室町)のころ、すでに浦都市を形成していた。海運との結びつきはこの村の成立時から宿命的なものであり、江戸時代に 隆盛する。元禄5年(1692)の釘覚帳が残っている。その量や寸法から考察すれば、これは底まわり(大修理)に使用したものと思われる。つまり中古船を買い求め修理しながら廻船業を営んでいたのである。造船技術はこのようにして鍛えられたのである。
安永3年(1774)高津勘四郎が宿根木で300石積みの船を新造した。これが宿根木でも、おそらく佐渡島内でも初めてのことであろう。船名は「白山丸」であった。
江戸時代後期の宿根木は、新田を含めて120戸、500人ほどの村で、百姓のほか船主、船頭、水主、船大工、鍛冶屋、桶屋が居住し、廻船所有数は20隻を数えた。船大工は40人余り居り、その卓越した技術は島内外の者から高く評価されていた。
宿根木は千石船産業の基地であった。その証しは村のたたずまいの中に今も良く残されている。
毎年7月末の土日に開催される白山丸祭りでは、正面扉が開いて船が曳き出され、白帆が揚がるとのことだった。帆の大きさは畳約160畳、機会があればその雄姿を見たい。
資料館のサイトには帆を上げる過程の写真が掲載されている。佐渡国白山丸
「格納庫」の隣の、旧小学校が民俗資料館になっていた。
旧小学校の正面玄関側から。大正9年に建てられた木造校舎を利用し、1972年(昭和47年)に博物館として開館している。資料点数は3万点を超え、その内「南佐渡の漁撈用具1293点」「船大工道具1034点」は国の重要有形民俗文化財に指定されている。
時間が止まっていた。
正面玄関の奥、建物の北辺の左右には長い廊下が続いていた。
ひと部屋だけ教室仕様が残っていた。
そのほかは展示室。
生活に関する資料が、なにもかも集められているような印象。
量に圧倒された。
廊下の先は講堂だったが、内部に枠が組まれ数多くのものが収蔵されていた。
講堂の舞台上は時計コーナー。
各種ランプも。
新館の方にあった漁労用具。
ざる(竹かご)にも様々ある。
船も格納されていた。
新館には宿根木の地形模型もあった。
右上が当資料館で下ると家屋が密集した集落になる。詳しくは次回で。
敷地内の別棟で窓のない蔵もあった。
迷路のような館内を見たあと、資料館正面の稲穂の色が目にしみた。
ズームすると水平線も。
昔からあったような道。
トリエンナーレの続きのようだった。
つづく。