墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「神々のすがた」展 @センチュリーミュージアム 東京都新宿区早稲田

8/22の土曜日の午後、墳行するには暑すぎで、下記のサイトで開催中の展覧会リストをながめていたところ、見慣れない美術館の表示があったので、行ってみた。

「神仏のすがた」展 @センチュリーギャラリー

展覧会スケジュール|美術館・アート情報 artscape

 

有楽町線の江戸川橋駅で降りて、近くの胸突坂にも立ち寄って(次回エントリで)、早稲田大学の正門から300mほど、「鶴巻小前」の信号にそばにある美術館へ行ってみた。

始めはわからなくて通り過ぎた建物。マンションのように見えた。

 

よく見ると壁に「Century Museum」の文字があった。

 

中へ入るとすぐ受付がある。入館料一般500円。

4階と5階が展示フロアとなっており、エレベータで上がる。

 

 

この大きさのビルで2フロアなので展示数はそれほど多くはないが、一点一点をじっくり鑑賞できる気持ちの良いつくりになっていた。

ケース内の展示物の紹介は情報を最小限に絞っているが、その代わり入口でA4で16頁の詳しい解説資料が配布される。

古代の鏡や仏像、神像、仏画の状態の良いものが並んでいる。おそらく考古学的価値に加えてコレクターの美的価値で選ばれた結果であろうと推測された。

貴重な唐代の石造菩薩頭部(7世紀)、石造観音菩薩半跏像(8世紀)、木造菩薩立像(9世紀)や、高さ1m近い迫力ある新羅の鉄製如来頭部(9世紀)、失礼ながら愛嬌のある平安時代の神像群、鎌倉時代、白象の上に浮遊する珍しい形の普賢菩薩(13世紀)や堂々とした孔雀明王像(13世紀)、ゴージャスな鎌倉時代の文殊菩薩(14世紀)など見ごたえのあるものばかり。

古代の鏡の展示も、春秋戦国時代や後漢時代の中国製の鏡と古墳時代に日本列島で作られた「倣製」の鏡の比較展示、さらに室町時代の鏡など興味深かった。

 

公式サイトには2点の写真も掲載されている。

センチュリーミュージアム / 一般財団法人センチュリー文化財団

2015/9/26まで。「日曜」休館で、9/5(土)には14時から展示解説がある。

 

この美術館は「書」のコレクションが充実しており、2015/10/5~2015/12/19では「中世の墨跡と古筆~書に表現される風雅の境地」が開催されるそうだ。
 

いったいどんな方が蒐集したコレクションが気になったが、現地でいただいたパンフではわからなかった。財団についての説明に「人類文化の発達に主導的役割をはたしてきた言語および言語に関わる文化に関する資料の収集・保存・展示等を通じ、次代を担う人々が言語及び人類文化に対する理解と認識を深めることに寄与し、もって人類の相互理解と世界平和の安定に貢献することを目的としています」とあったので、宗教団体かと思ったが、あとでWikipediaにより旺文社を創業した赤尾好夫氏のコレクションだったと知った。

センチュリー文化財団 - Wikipedia

旺文社創業者・赤尾好夫の美術コレクションや資産を保存するために1979年に設立された団体。(中略)2010年10月に、現在地の早稲田にセンチュリーミュージアムを開館。奈良時代から江戸時代までの文字文化をテーマにした名品が揃い、「書の美術館」として親しまれている。

 

赤尾好夫 - Wikipedia

以下に転記。1907年山梨県東八代郡英村(現笛吹市石和町)生まれ。

1931年、東京外国語学校(東京外国語大学の前身校)イタリア語科卒業。同年10月、歐文社(現在の旺文社)を設立。この他に文化放送や日本教育テレビ(現在はテレビ朝日)の創業や、放送大学の設立にも貢献し、また実用英語技能検定や全日本学芸科学コンクールの創立にも協力。教育と情報の融合に努め、日本メディア界の発展に貢献した。趣味人としても知られ、書画骨董の収集品は財団法人センチュリー文化財団に収蔵されている。(後略)1985年没。

 

赤尾の豆単で有名な方。自分の時代は「でる単(しけ単?)」だったが。

 

早稲田正門前から続く通りは中央分離帯の木々が高く、建物全景を撮るのが難しかったが、木蔭が通りの雰囲気をよくしていた。

つづく。