前回のつづき。
塚山古墳を一巡りしてから、隣接する2つの古墳(帆立貝型前方後円墳)に向かった。
塚山古墳側から見ると円墳のよう。
麓に縦型の標柱があった。
塚山西古墳 栃木県指定史跡
墳形:帆立貝形前方後円墳 全長:61m
後円部:径51m、高さ6.5m
前方部:幅22m、高さ2.5m
この古墳は、前方部を南南東に向けて築かれた帆立貝式前方後円墳である。墳丘の表面を覆う葺石は確認されていない。古墳の周りをめぐる周溝の中から、埴輪や土器がたくさん出土している。周溝は、塚山古墳を避けるように掘られているので、この古墳は塚山古墳の後に築かれたことがわかる。
県指定史跡だが、立派な石柱があった。
墳丘からの眺め。樹林に覆われている。
繁る葉の間から、塚山古墳が見え隠れしていた。
塚山西古墳と塚山南古墳との間には国道121号(宮環:宇都宮環状道路)が通るが、古墳がある場所だけは、地下にトンネルが掘られている。
ちなみに最近、取り壊しの危機にあった沼津の高尾山古墳の「撤去の撤回」が決まって一旦ほっとしたが、3世紀前半という古墳時代初期に築造された当時の東日本最大級(62m)という貴重な前方後方墳なので、こちらも道路の地下化ができればと思う。
塚山南古墳へ向かう小道沿いには廃屋があった。小道にはゴム板がおそらく泥除けのために敷かれていたが、つるつるすべってころびそうになった。
塚山南古墳。
こちらにも縦型の説明板があった。
塚山南古墳 栃木県指定史跡
墳型:帆立貝式前方後円墳 全長:58.8m
後円部:径46m 高さ7m
前方部:幅28m 高さ4.5m
築造時期:5世紀末~6世紀初めごろ
この古墳は、前方部を南に向けて築かれた帆立貝式前方後円墳である。墳丘の表面を覆う葺石は確認されていない。古墳の周りをめぐる周溝の中から、埴輪や土器が沢山出土している。周溝は、塚山西古墳を避けるように掘られているので、この古墳は塚山西古墳の後に築かれたことがわかる。
塚山古墳→塚山西古墳→塚山南古墳、という順番で造られている。
こちらにも石柱があった。
こちらの墳丘にも上がらせていただく。
墳丘に大きな木が何本も立っていた。
墳丘からの眺め。森の中のようだが、その先の周囲は住宅街。カラスが多かった。
西古墳と南古墳との間。道路が通らなくてよかった。
それを決断した方、GOOD JOB!
ただし、塚山古墳の北側にあった古墳群は栃木県総合運動公園整備、道路建設等で削平・消滅してしまった。
残った4基は大切に残されているように感じた。