前回の「前」、歴史民俗資料館の次に訪れた場所。
愛宕塚(あたごづか)古墳は、車塚・牛塚古墳から南に500mほど、壬生駅から直線距離で北東に1kmほどで東武宇都宮線の車窓からも見える場所にあった。
墳丘に愛宕神社がある。鳥居の横に車が停められる。
参道の軸は栃木街道に対して斜め45度位の位置関係だった。
神社入口、街道沿いには欅の巨木があった。
説明板は車塚・牛塚のものより少し前のものだった。
国指定史跡 愛宕塚古墳
大正15年2月24日指定 壬生町大字壬生甲字車塚
愛宕塚古墳は、黒川東岸の台地上につくられた前方後円墳です。
墳丘は二段につくられ、栃木県中央部の大型古墳にみられる墳丘第一段平坦面(基壇)を幅広くつくる特徴が愛宕塚古墳にもみられます。墳丘は全長が65m、堀(周湟)の底から高さは後円部で5.5m・前方部で6.5mあり、後円部にくらべ前方部が大きさ・高さとも著しく発達した典型的な後期型の墳形をしています。
墳丘の周囲には盾形に堀と土塁(周堤帯)が残りの良い状態で廻っています。
愛宕塚古墳の石室については、発掘調査が行われていないので不明ですが、墳丘からは埴輪が出土しています。
墳形や埴輪などから、愛宕塚古墳は古墳時代後期(今から約1400年前)につくられた古墳と考えられます。
なお、前方部に祀られている愛宕神社は、元禄7年(1694)壬生城主、松平輝定が壬生城の鬼門除けとして建立したと伝えられています。
平成3年3月 壬生町教育委員会
周堤を切り開くようにして参道が設けられていた。
前方部に、横から登るような形で石段がついていた。左は前方部の先の周堤。
周堤のすぐ内側が周溝で、中央から右にかけての少し盛り上がった部分が基壇か。
緑の石段を登る。
背の高い切り株があった。
右手につづく後円部。
前方部裾の隅。
社殿を一周して後円部へ向かう。
くぶれ部から、後円部の膨らみ。
後円部から墳丘下の眺め。
後円部から前方部。
後円部裾から。左が前方部。
後円部の先の道路側から。
同じく道路側から見た後円部。
栃木街道側から右に後円部、左奥へと前方部。
上記の背後には栃木街道。東武宇都宮線の架線があった。
次の機会で車窓から眺めてみたい。
自分と入れ替わりに、埼玉方面から家族で古墳見学に来ている方がおられた。お父さん、GOOD JOB!