墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東京海洋大学 キャンパス内の明治~昭和初期建物

前回のつづき。

明治丸を見学した後、キャンパス内の建物や資料館も見て回った。

当日はツアーもあったようだが、時間の都合で参加できず写真だけ。

 

下図の左、「現在地」から入って、下半分のキャンパス全体を見学できた。

以下は大学サイトにある説明。

江戸時代初期に榊原越中守が島状の土地に屋敷を持っていたところから「越中島」と名付けられ、その後忍藩松平下総守の領地となりました。黒船来航後、海防のためそのや市区の東隣に設けられた「越中島調練場」、引き続く明治期の「陸軍練兵場」が、明治32年11月「商船学校」の敷地となり、永代橋畔の霊岸島校舎から明治35年1月10日に移転完了しました。そして、その後静岡・清水に「商船大学」が開学しましたが、再び越中島に移転し、前身校である「東京商船大学」へと発展しました。

 

清澄通りからも見える由緒有りげな建物。中に入ったら説明板もあった。

東京商船大学旧天体観測所(第一観測台)

以下は説明板より。

1903年(明治36年)6月建設。赤道儀室と呼ばれ、内部には東洋一と言われた天体望遠鏡を備え、教育研究に使用された。建物は1997年(平成9年)12月登録有形文化財に指定された。

The Tokyo University of Mercantile Marine old celestical observatory (First Observatory)

It was constructed in June, 1903 as an equatorial observatory to be used for education and research. The observaotry had an astronomical telescope, which was said to be the most advanced telescope in the Orient at that time. The building was registered as a tangible cultural asset in December, 1997.

 

八角形に組まれたレンガ壁の上に円筒形の壁と丸屋根が載る。

 

 

床下通気口は方位を表しているようなデザインだった。

 

 入口屋根の下。表札と入口屋根を支える円デザインの軒。

 

となりは第二観測所。八角形の壁で屋根も八角形。一部が天体観測用に開く。

 

入口のアーチ、ドアが見事だった。

以下説明板より。

東京商船大学旧天体観測所(第二観測所)

第一観測所と同時に建設。子午儀室と呼ばれ、内部には子午線測定用の望遠鏡を備え、教育研究に使用された。(後略)

 

外の歩道橋から見た2つの観測所。

 

観測所の周囲には、菅船長石像や精神不滅碑、招魂碑なども立ち並んでいた。

 

1号館

昭和7年(1932)竣工の校舎。九段会館 (昭和9年)より2年古い。

 

中央部のテラコッタのエンブレム。ここだけ見るとイタリアの街のよう。

 

車寄せ部分の柱のアップ。スクラッチタイル壁が美しい。

 

角の部分、局面の部分の処理が素晴らしい。

 

玄関入口の大アーチ。

 

玄関内側から見た外側。梁に微妙なカーブがある。

 

1号館の中央廊下。厳かな趣がある。

 

先端科学技術センター(東京商船大学事務局管理棟)

曲面カーブが美しい。

 説明板があった。

東京商船大学事務局管理棟(現:先端科学技術研究センター)

1932年(昭和7年)7月、1号館とほぼ同時期に東京高等商船学校図書館として竣工。細部の意匠も1号館と共通した構成要素が見られる。天井の放射状に張られた梁が特徴的である。1997年(平成9年)12月登録有形文化財に指定された。

 

こちらは内部は入れなかった。すぐ隣りに百年記念資料館がある。

 

2階部分のアップ。色の違う部分は補修か。

 

正門横の守衛所もスクラッチタイル壁だった。

このあと「百年記念館」へ寄った。

つづく。