墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

重要文化財・明治丸の公開 @東京海洋大学 東京都江東区越中島

7月20日(月・祝)の海の日越中島東京海洋大学構内にある明治丸(重文)が公開されると聞いて見に行った。

清澄通りにかかる橋の上からマストが見えて気になっていた。

普段でも外観のみは見学できるようだが、この日は「海の日」を記念しての内部の特別公開。2015年秋以降は、火・木曜と第1第3土曜に一般公開されると書かれていたが、今後大学のサイトに案内されるようだ。→重要文化財明治丸 - 東京海洋大学

 

明治丸公開以外にもさまざまな「海の日」記念行事が行なわれていた。

【7月20日(月・祝)開催】「海の日」記念行事のお知らせ - 東京海洋大学

明治丸公開は10時からだったが、開場は9:30だったので5分前くらいに正門前に行くと、2,30人くらいの方々が集っていた。

 

10時からの入場整理券を受け取った後、外観を鑑賞。手前に広場があり、芝生の海のようだった。

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 満艦飾(祝祭日や観艦式などの際に、停泊中の軍艦が艦全体を信号旗・万国旗などで飾りたてること)が青空に映えていた。

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船首側から。

明治政府が燈台巡視船として英国に発注した船だが、日本の小笠原諸島領有に重要な役割を果たした。明治9年に明治天皇の奥羽巡幸の折、青森~函館を経て横浜に着いたのが7月20日だったことが「海の日」の契機になっている。

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以下は大学のサイトより。

明治丸明治政府が英国グラスゴーネピア造船所に燈台業務用に発注し、明治7年に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で、翌8年横浜に回航されました。この船は特別室やサロンを備え、一等飛脚船同様の出来と言われた豪華な仕様の新鋭船で、単に燈台業務ばかりでなく、ロイヤルシップの役目も兼ねた船でした。明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代の重要な場面で活躍しました。なかでも明治9年、明治天皇は奥羽巡幸の帰途、青森から乗船され函館を経由して7月20日に横浜に安着されました。この日を記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され、平成8年に国民の祝日海の日」となりました。また、明治8年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せ英国船より早く小笠原に到達したことにより、小笠原諸島領有の基礎を固める役割を果たしました。 明治丸の活躍により、小笠原諸島はわが国の領土となりました。この領有はその後の沖ノ鳥島南鳥島の領有を含め、現在の我が国の排他的経済水域の3分の1に当たる約150万k㎡を確保する基となり、海洋立国日本の礎ともなりました。明治丸はおよそ20年間燈台視察船として活躍し、明治29年に商船学校(本学の前身)に譲渡され、係留練習船として昭和20年までの50年間に、5000余人の海の若人を育てました。この間、明治丸シーマンシップ練成の神聖な道場として、また大正12年の関東大震災や、昭和20年の東京大空襲では、被災した多くの住民を収容し、災害救援にも貢献しました。昭和53年、わが国に現存する唯一隻の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として国の重要文化財に指定され、昭和63年1月、文化庁と本学の手により修復工事が行われました。

重要文化財明治丸 - 東京海洋大学

 

鉄と鋼のちがいは金属に含まれる炭素量で、炭素を0.3%~2%含んだ鉄合金の総称が鋼だそうだ。鋼 - Wikipedia

 

百周年記念資料館2階の休憩室の窓から。

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船尾から。

かつて港(ポンド)だった場所が船とともに埋め立てられている。

ガイドの方の話によると、明治丸は発注時はペリーの黒船のような「帆船+蒸気船(外輪船)」だったが、船の技術が進化していく時期だったので「帆船+蒸気船(スクリュー船)」として完成した。埋まっている部分に元々はスクリューがあったそうだ。

明治丸は帆船でもあるので、喫水線から下の部分つまり埋まっている部分が大きい。

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見学時間開始とともに「乗船」

こちらは甲板船尾の操舵輪。舵は土に埋まっているが今でも動きそうに復元されている。

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帆を上げ下げする際に、人力でロープを巻き取る装置。

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全長68.6m、全福9.1m、排水量1027.5トン(Wikipediaより)

甲板はチーク材。やしの実で磨いたそうだ。

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操舵室。実際の舵は船尾なので内部には机があるだけ。

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碇を上げ下げする装置。

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手前にある蒸気エンジンで動いていた。

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大きな鎖には「KOMORI」と刻まれていた。

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左から通気孔、船内への入口階段、トイレ。

帆船なので後ろから風がくる。よって通気孔は後ろ向き、トイレの位置は船首側なのだそうだ。

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甲板から望む豊洲運河。屋形船が多く係留されていた。

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 船内は次回。