前回のつづき。
旧石器時代学習館を見た後に、信号を渡って史跡・田名向原(たなむかいはら)遺跡公園へ。
はいってすぐに復元された12号墳がある。
12号墳の説明板。
谷原12号墳(復元)
平成6年3月、遺跡公園の北方約60mの地点で発掘された約1400年前の古墳時代後期の小型円墳を復元したものです。
古墳の石室(埋葬者の棺を納める場所)からは、直刀(反りのないまっすぐな刀)や鏃(矢の先端)などの武具や装身具(アクセサリー)の切子玉などが発見されました。
田名塩田から当麻谷原にかけて確認される10数基の古墳は、谷原古墳群と総称され、公園内に2基(谷原13号墳、14郷墳)が保存されています。
Tanihara 12 Tomb (Reconstruction)
This is a reconstruction of a 1,400-year-old Late Kofun Period small, round mound tomb. This tomb was excavated in March 1994 about 60 meters north of the Site Park. Straight-bladed swords (chokuto), arrowheads and other weapons, and ornaments (accessories) such as facetted beads (kirikodama) were found in the stone burial chamber (the place where the deceased’s coffin was placed). The ten mound tombs identified between Tana-Shioda and Taima-Tanihara are preserved in the Site Park.
ぐるっと回ると石室入口があった。
石室の扉は閉じられていたが、下記の解説シートによれば日曜日(第5を除く)には公開されているそうだ。
説明板のそばには、ラミネート加工されたA4の解説シートもあった。旧石器遺構、縄文遺構と合わせて3枚あり、こちらは学習館で申し出ればそのものをいただける。これよくまとまっていてわかりやすかった。
下記は古墳のその解説シートにあった相模川流域の古墳マップ。
現在地は1番で、一昨年の秋に訪れた秋葉山古墳群も「東国の古墳時代の幕開けを語る前期の」古墳として2番に記載されていた。
14号墳はオリジナルの現物。左方の道路で半分削られてしまっていた。
13号墳も位置はオリジナル。
土盛りの上に円墳の位置(縁)が示されていた。
縄文時代の復元住居も。中にも入れるようになっている。
解説板。
公園東側の道路建設の際、調査で発掘された約5千年前の縄文時代中期の竪穴住居の復元であることが書かれている。
こちらが旧石器時代(後期)の住居状遺構。
住居状遺構の説明板。2万年前の人類定住の可能性を示す遺構として注目され、国の史跡に指定されている。
実際の遺構の上を1.5m盛って、レプリカをつくっている。
人間が同じエリアに2万年にわたって暮らしてきた形跡が確認できるということは、世界的にみても希少なのではないか。
地層を見学できる施設(園内に、もう一ヶ所あったようだ)
離れた産地から黒曜石が運ばれてきている。
自分のほかは犬を連れた方が1名いらしただけ。のどかな雰囲気。
この、のどかな雰囲気が、これからの数万年も続いてほしいが・・・
公園の端からは相模川が見渡せた。旧石器時代人も、縄文人も、古墳時代の人も眺めてきた川の流れ。
左の台地上の建物はヤマト運輸の物流基地のようだ。
地図を見たら、台地の2,3km先には相模川の支流である中津川が流れるが、間の土地(中津台地)は一大工場エリア(内陸工業団地)になっていた
Wikipediaによると下記の経緯があった。
もともと中津台地一面の桑畑を太平洋戦争中の1941年2月、旧日本軍の相模陸軍飛行場(中津飛行場)として開発、完成した土地であったが、戦後、開拓農地として分割され、土地改良事業が実施された後、開拓農地としての制限が解除され、1966年、工業団地造成の気運が高まったため、転換され、多くの企業が進出している。
台地上には、さきほどの古墳マップに記されていた「上依知古墳群」もある。調べていたら、なんと「神奈川の古墳散歩」がWEB化されているのに気がついた。これは便利。
学習館の反対側にも出入り口があった。
川面までは結構な比高差があり。先に見える橋は自動車専用で、圏央道(橋の対岸)とIC(こちら岸)とをつなぐ。
豊富な水量。釣り人も。
このあと「ポンプ場」の古墳群へ向かった。
つづく。