墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「没後180年 田能村竹田」展 @出光美術館 有楽町

7/10の金曜日の夕方、出光美術館へ立ち寄りました。

江戸時代後期の南画(文人画)家、田能村竹田(たのむら ちくでん:1777年~1835年)の没後180年記念展。

 

直近に見た河鍋暁斎(1831~1889)の直前の世代。どちらも60歳を目前にして亡くなっています。

たまたまですが連続して見たので比べてしまい、野性的なパワーに溢れ「開けた」天才の雰囲気の暁斎と、知性的に細やかで「閉じた」秀才の雰囲気の竹田と、「違い」を感じました。

 

竹田(ちくでん)は豊後国岡藩、現在の大分県竹田(たけだ)市生まれ。藩医の家は継がずにはじめは儒学、さらに文芸の道を選び、江戸や大阪と行き来しながら、谷文晁や浦上玉堂、岡田米山人、上田秋成、頼山陽、野呂介石、青木木米などと交流し、様々な画風を学んで山水図・人物図・花鳥図とその画域を広げ、写実を通して文人画のエッセンスともいうべき写意を表現しました。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著しています。

作品は現在、出光美術館が約200点、大分市美術館が45点、竹田市歴史資料館が10点を所蔵(Wikipediaから、短縮)

 

以下は美術館のサイトから。

江戸時代の中頃、池大雅や与謝蕪村らによって大成された日本の文人画は、その後も中国への憧れを抱きつづけた文人たちによって継承され、幕末には大いなる発展をみました。その代表的な一人として、田能村竹田(たのむらちくでん 1777~1835)がいます。
竹田は、中国の古典、漢詩の世界に親しみ、中国本土の文人たちを凌ぐほどに精通した存在として高く評価されています。中国趣味に賑わった当時は、新たにわが国へともたらされる中国・明清時代の書画の鑑賞会も盛んでしたが、そうした環境の中で竹田は悠久の歴史と文化、そして深遠なる伝統への理解を深めつつ、詩書画の制作に限りない愛情を注ぎました。また彼の仲間に頼山陽(らいさんよう)がいるほか、たくさんの著名な文人・学者たちとの交流にも勤しみながら、理想的な日常を営んでいたことも特筆されます。
竹田の眼が捉えた微細な光と彩り、そして生命あるものへの愛――。 本展では、没後180年を回顧し、出光コレクションが誇る名作を18年ぶりに特集展示いたします。他に類をみない繊細な感性をもって、秀逸な作品を数多く描き出した独自の世界、その魅力と実像に迫ります。

 

18時からの学芸員の方による「列品解説」に参加しました(入館料のみで可)

半年ほど前に別の企画展「物語絵 ーことばとかたちー」で解説を聞き、発見が多かったので。今回も竹田の人となりや、好み(池大雅は好きだったが与謝蕪村は嫌いだった)とか、興味深い話を聞けて充実しました。ありがとうございました。

 

おすすめは最初の部屋、はいって右すぐの4点。

一番初めに掛かる作品は、重文の「梅花書屋図」:天保3年(1832)

さらに、村居暁起図:天保4年、春隄夜月図:天保5年頃(重要美術品)、柳閣暁粧図:天保元年と続きます。

縦長の画面に山村や水辺の風景が中景から遠景へつづき、観る側を画面の中へ、奥へと導きます。

明や清、さらに遡る元や宋の作品に学びながら、日本各地を旅して見て歩き記憶した雲仙などの風景を中国風な理想郷に捉え直して描き上げています。

道を旅人が歩いていて、樹林の間から見える家屋では人がくつろいでいて、道が続いていて川があって滝があって岩があって、この山の向こうにあの山が連なっていく、という構成で「絵の中に入りこんでいける作品」が多かったです。

 

4年前にNHKで放送していた番組、額縁をくぐって物語の中へ - Wikipediaを思い出しました。

 

展示方法にも工夫があり、作品解説を「注目箇所の拡大画像」とともに、鑑賞の邪魔にならない位置の手前のガラス面にシートで貼っているので、読みやすくわかりやすい親切対応。

 

南画というカテゴリーについては今回調べて、兵庫県立美術館(三ノ宮)で開催した企画展のサイトのQ&Aがわかりやすいです。

兵庫県立美術館-「芸術の館」-【南画ってなんだ?!】

 

同展は8/2まで、列品解説は7/23(木)10:30~と、7/24(金)18:00~の残り2回です。

 

閉館間際、館内で皇居側を眺められる場所から。

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