墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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堺市役所展望ロビーから望む仁徳天皇陵(大仙古墳) 大阪府堺市堺区南瓦町

前回のつづき。

たこやきを食べた後、14時頃にユニバーサルシティ駅を出発、新今宮駅で南海高野線に乗り換え堺東駅へ、仁徳天皇陵の全容が見える堺市役所の展望ロビーへと向かった。

 

仁徳天皇陵(大仙古墳)を見に行くのは初めて。

今年の2月に下記の講演会を聴き、ぜひ一度訪ねたいと思っていた場所だった。

 

改札を出て市役所へ向かう歩道橋の上から。線路の向こうの緑の小山も古墳(反正天皇陵) 

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堺東駅の駅前広場。右側の長い歩道橋が上記写真を撮った場所。

正面のビルは奥に長く、高島屋が入っている。

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市役所前交差点。角のビルは普通の感じだが裏のアーケードが気になった。

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市役所前の歩道にあった電話ボックス。現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして国の史跡に指定されている旧堺燈台(堺市堺区大浜北町5丁目)をモチーフにしたもの。次の機会に実物を見てみたい。

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その後ろに聳える堺市役所の「高層館」は21階建て。最上階に展望ロビーがある。

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建物前広場はお祭りのように賑わっていた。

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入場無料。いきなり古墳の緑が目に入る。

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仁徳天皇陵(大仙古墳)の端までは直線距離で800mほど。古墳の最大長は840mだが、墳丘の全長は486m。全国に20万基あるとも云われる古墳の中で最大の大きさを誇る。

街中に山があった。

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中央の盛り上がりが後円部。

手前に飛び出している緑は、陪塚(主墳の周辺に造られた小形の古墳の中で、主墳に付属するような位置に計画的に配置され、かつ同じような時期に造られた古墳)のひとつの永山古墳。仁徳天皇陵には19基の陪塚があり、そのうち16基が現存している。

永山古墳は墳丘長100m。造出しがあり前方後円墳であることから独立した古墳とみられている。(仁徳天皇陵古墳百科 堺市より)

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下記はロビー内にあった写真パネル。鍵型を見るには飛行機から見るしかなさそう。冬なら周濠の水面も見えるのだろうか。

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古墳にコーフン協会さんのサイトでは、貴重な空撮レポートが見られる。

 

東の方向には、さきほど歩道橋から見た、反正天皇陵(田出井山古墳)

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反正天皇陵は仁徳天皇陵が近いので相対的に小さく感じるが、全長148mあるので千葉県最大の内裏塚古墳(144m)より大きい。

以下はWikipediaの田出井山古墳の項より。

百舌鳥古墳群の北端に位置し、全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで、百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさである。墳丘は3段に築かれ、かつては二重濠があったと確認されている。墳丘の形態や出土した埴輪より、5世紀後半頃に造築されたと考えられている。陪塚と推定される古墳が数基現存している。

反正天皇の陵墓に比定されて宮内庁によって管理されているが、江戸時代の絵図等では「反正天皇陵」「楯井陵」の表記が見られる。楯井は当地の広域地名でもある向井の別称で、田出井に転じたとされる。北東角に方違神社がある。

天皇陵に比定されている百舌鳥耳原三陵のなかで、他の2つの古墳(大仙陵古墳、上石津ミサンザイ古墳)と比べて規模がかなり小さいことから、反正天皇陵であることを疑問視する意見も多く、なかには土師ニサンザイ古墳を反正天皇陵と考える者もいる。

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百舌鳥古墳群の主な古墳のパネル展示があった。

長軸が北東を向く群と、それと直交して南東を向く群とがある。

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 展望台と仁徳天皇陵との位置関係をグーグルアースで。

 

展望ロビーから北方向。広がる大阪平野。

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奥に立つのは、あべのハルカス。

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※ちなみにこの後、あべのハルカス側からも仁徳天皇陵を望みました。

あべのハルカス 大阪府大阪市阿倍野区 - 墳丘からの眺め

 

西方向は遠くに大阪湾。

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ズームするとうっすらと明石海峡大橋も。

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 仁徳陵を地上から見渡せる場所は下記のサイトによればこの展望台と、永山古墳南側の陸橋の上、JR百舌鳥駅南側の陸橋の上の3ヶ所とあったが、他の2ヶ所は探訪する時間がなかった。

 

エントリのために調べていたら、堺市は4年後隣接地に展望デッキ付きのガイダンス施設を造るそうだ。2年後に目論む世界遺産登録に合わせている。

 

冒頭のシンポジウムでも世界遺産登録は早いか遅いかの問題だけで登録自体については楽観的な印象を受けた。

百舌鳥・古市古墳群が世界遺産登録されると、この場所だけでなく全国の古墳への興味も高まるはず。現時点では「明治日本の産業革命遺産」の審査が話題になってますが、来春には世界遺産古墳が話題になっていることと思います。

ぜひ、早期に実現してほしいです。

 

こちらの展望ロビーにはちょっとした喫茶コーナー「ミエール(見え~る)」がある。

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しばらく眺めを堪能した後は、おいしいあんみつをいただきつつ案内図を見ながらどのように回ろうか思案した。

 

案内図は堺観光コンベンション協会が作成した堺まちあるきマップがわかりやすく重宝した。

http://www.sakai-tcb.or.jp/pdf/mozu2015/05.pdf

 

つづく。