3回前のつづき。
今回はじめて石岡の街を訪れて、昭和初期の建物、木造2階建ての看板建築が、かなりの数残っていることを知った。
常陸太田でも昭和の建物が残っていたが、こちらの街の方が少し古い年代の印象。
建物が集中するのは、中町通りの国府3丁目から金刀比羅神社あたりの300mほどだが、国分寺跡周辺や一本入った道にも、昭和初期以前の雰囲気を残す店が多々あった。
以下引用部分は観光案内所でいただいた「いしおか散策マップ まちなかの登録文化財」等より。マップで紹介されていない味わい深い建物も多い。
●青柳新兵衛商店 「国分町府中丁目」の信号から一本西側に入った道にある。
「香丸町柿岡街道入口」交差点を西に折れてすぐにある立派な白壁の蔵。
ここからは中町通り沿いの建物。
石岡印刷とある。
酒屋さんとパンケーキの店は昭和風。
●きそば東京庵 登録有形文化財
昭和7年頃に建てられた蕎麦屋。木造2階建ての和風食堂建築。戦後、座敷部分を取り払い、土間にテーブルと椅子を置いて客用の空間とした。数奇屋風の洒落た意匠は、この地域では珍しい。
看板建築が並ぶ一角。かつては本陣が置かれていた場所のよう。
●森戸文四郎商店(左の建物)
2階正面には石造風の柱があるが、1階正面には柱はなくガラス引き戸の店。
昭和5年頃に建てられた飼料店(現在は生花店) 木造2階建ての看板建築。柱のレリーフ、縦長の窓、褐色タイルなど全体にアールデコ調の外観は正面を洋風の意匠で飾る看板建築の好例である。
●すがや化粧品店
柱頭レリーフが素晴らしい。
昭和5年頃に建てられた雑貨店(現在は化粧品店) 木造2階建ての看板建築。屋号を冠したペディメント、コリント・イオニア様式風の柱頭飾りなど重厚な外観で、この地区における看板建築の秀逸なものの一つである。
看板建築と江戸期風の平入りの商店が並ぶ。
右から福島屋砂糖店、久松商店、十七屋履物店
●福島屋砂糖店
昭和6年に建てられた砂糖問屋。木造2階建ての商家建築。土蔵造りの壁が、土壁漆喰塗りではなくコンクリートでできているのは大変珍しい。黒塗りの外壁が外観に重厚さを与えている。
●久松商店
昭和5年頃に建てられた化粧品・雑貨店(現在は喫茶店) 木造2階建ての看板建築。ドイツ下見板張りの正面外観は、戦前、銅板が貼られていた。昭和4年の大火後、この地区の店舗の再建に広く採用された看板建築の代表例である。
●十七屋履物店
昭和5年に建てられた履物屋。木造2階建ての看板建築。2階は持送風の柱頭飾りを中心にして縦長の連窓を左右に配する。昭和4年の大火後この地区で最初に再建され、この地区における看板建築の先駆けとなった。
下記の方のブログによれば、福島砂糖店では敷地内に砂糖を運ぶトロッコの軌道が残っているようです。
左は地元の学校の制服を扱っている阿波屋さん、右は中藤精米店。
●丁子屋(まち蔵藍)地域に現存する最も古い建物。以下はいただいたパンフより。
丁子屋のある中町通りは江戸時代から昭和戦後にかけて商いで栄えた地区である。しかし昭和4年3月の大火でこの地区の建物は、大部分が焼失してしまった。その中で、丁子屋は焼失を免れた商家建築では現存する唯一のものといえる。
この建物は、近世末から明治初期の建築である。明治7年に役場で最初に作成した家屋台帳にもすでに、現在の店の建物と複数の土蔵が記録されており、それ以前に建てられたことは間違いない。
なお、「丁子屋」は染物屋として繁盛したこの地域の大店の一つである。
中町通りは歩道幅が広くて歩きやすく、電柱もないので見た目も良いです。グループで散歩している方々、着物のカップルなど、結構人出もありました。
ストリートビューでも楽しめます。
つづく。