前回のつづき。
舟塚山古墳の墳丘で至福のひと時を過ごした後、駅方向に戻った先にある高浜神社を目指した。
県道118号沿い、舟塚山古墳がある台地の降り口の林の中に社があった。石岡市北根本の住所になるが、ちょっと検索しただけでは社名がわからなかった。非常に厳かな気が漂う境内だった。
常磐線の踏切を越えると高浜駅からの道を過ぎ、台地下に沿って進む。道路沿いにあった理髪店。「サインポール」は回っていて営業中のようだった。
道が左にカーブしたところの左側にあった立派な蔵。
蔵の向かいに高浜神社があった。高浜駅からは500mほどの距離。
説明板もあった。
高浜神社
所在地 石岡市大字高浜865番地
祭神 武甕槌命
口碑によれば、高浜の地は古代には国府の外港として栄えた。国司は都から着任すると、当国内の大社に報告のため巡拝し、また奉幣祈願をするのがならわしであった。
国司が鹿島神社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能のときは、高浜のなぎさにススキ・マコモ・ヨシなどの青草で仮屋(青屋)をつくり、遥拝したといわれる。
現在は、本殿・拝殿・石鳥居などがあるが、この社殿は後世に建てられたものであろう。
昭和60年1月 石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会
苔むした藁葺き屋根。
本殿の破風の部分の「絞り」は取手の東漸寺や本陣と同様。
説明板はもう一枚あった。
思わぬところで名文に出会えた。
高浜の海
国府の人々には、筑波山のほか、もう一つ愛着をもった景観があった。高浜の海である。「常陸国風土記」には、次のようにみえる。
そもそもこの地は、花かおる春、また木の葉の色づき散りしく秋になると、あるいは駕(のりもの)を命じて出向き、また舟を漕ぎ出して遊ぶ。春の浦々には花が千々に咲き乱れ、秋には岸という岸の木の葉が色づく。春はさえずる鶯の声を野のほとりで耳にし、秋は宙に舞う鶴の姿を海辺のなぎさで目にする。農夫の若者と海人の娘は、浜辺を逐(お)い走って群れつどい、商人と農夫は、小舟に棹さして行き交う。まして真夏の暑い朝、陽光でむっと暑い夕暮れになると、友を呼び僕(しもべ)を引き連れて、浜かげに並んで腰をおろし、海上はるかにながめやる。少し波立ち夕風がしずかに吹き出すと、暑さを避けて集まった者は、晴れやらぬ心の憂さを風に払い、岡を照らしていた日影が、しだいに動いていくにつれ、涼を求める者は、喜びの心を動かすのである。
国府の役人たちは春秋の入江の景観を楽しみ、とくに夏の夕には涼を求めて集い遊んだのである。今は高浜の海も陸化したが、高浜よりみた筑波山の美しさなど、風土記時代のすばらしい景観の面影はまだ残っている。
以下漢文は省略。
昭和60年3月 石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会
境内には池があり、その中ノ島に祠があった。もしかしたら、かつての高浜神社はこのくらい水面に近かったのではないか。
つづく。