墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧取手宿本陣(染野家住宅) 長禅寺三世堂(さざえ堂) 茨城県取手市

前回の続きの3/29、関東鉄道常総線「新取手」駅から取手駅へ。少し時間があったので、東漸寺でいただいたマップにあった「本陣」を訪ねてみた。

 常総線取手駅からJR取手駅東口へは一旦駅の外に出て「自由通路」を抜ける。

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駅前の丘を右手に見ながら適当に細道を行って県道11号(旧水戸街道)へ。

すぐに案内板を発見。

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両脇をビルに挟まれるようにして入口の門があった。

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門の手前に説明板があった。

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茨城県指定文化財・取手市指定史跡

旧取手宿本陣(染野家住宅)

敷地 2,405.51㎡

表門 一間薬医門、桟瓦葺、4.294㎡

土蔵 土蔵造、間口9.1m、奥行4.5m、41.328㎡

主屋 寄棟茅葺、桁行20m、梁間15m、337.645㎡

歌碑 自然石、高1.4m、幅0.6m、厚0.4m

本陣は街道における身分の高い武家の宿泊施設であった。

江戸時代初期、取手宿は水戸街道が整備されると利根川の渡船場に隣接する重要な宿場となって発展し現在の取手市の基礎となった。染野家は代々取手宿の名主であり、貞享4年(1687)に水戸徳川家より本陣を命ぜられた。現存する主屋は寛政6年(1794)に焼失し、翌年直ちに復興したものである。大型民家のつくりであるが、式台玄関の上部には重厚な入母屋破風を設け、風格を保っている、

歌碑は、第九代水戸藩主徳川斉昭の詠んだ歌で江戸屋敷から届けられた。水戸徳川家と本陣染野家の結びつきを示すものといえよう。

歌碑「指て行さほのとりての 渡し舟 おもう方へは とくつきにけり」

平成9年3月 取手市教育委員会

 

土蔵の前に咲き誇る薄き色の花。管理の方に訊いたら、あの和紙の原料となる「ミツマタ」の花だった。始めて花を見た。

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正面に本陣玄関。駕籠を横付けして直接建物の中に入れる式台が付いている。

昭和62年から約10年間の修理工事を経て、平成9年に一般公開された。

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屋根の破風の上部のデザインは東漸寺で見たものと同じよう。

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入館無料。この時間の見学者は自分一人。

土間から、なかのま。なかのまを含む右側が染野家の居住部分になる。

その向こう、奥の部屋が武士が利用する本陣。

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土間の上部。梁はクロマツだそうだ。

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明治時代の初期には玄関東側の部屋は郵便局として使用されたとのこと。昭和62年からの修復では、復元時期を「明治初期」に合わせている。

建物の外側に面して馬蹄型の郵便の窓口跡があるそうだが見逃した。

同様の郵便窓口跡は他に、東京都府中市の矢島家住宅、奈良県奈良市の松本家住宅、大阪府堺市の川口家住宅の3ヶ所しかないそうだ。

下は郵便局として使用された部屋の内側。

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奥の三の間から、二の間、上段の間。菱格子の欄間が美しい。

上段の間の違棚は、中央が一段高くなった「井楼棚(せいろうだな)」

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染野家の居住部分の、ちゃのまとひろまの間のガラス戸。この板ガラスは明治時代につくられた貴重なもので、表面が波打ち、中に気泡がある。

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外に出て、主屋側面から見た屋根。手前の瓦屋根の張り出しは井戸。

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通りから少しはいっただけだったが、静かで時間の流れがゆっくりした場所だった。

公開は、年末年始を除く金・土・日。詳細な解説は下記の市のサイトのpdfで読める。

旧取手宿本陣染野家住宅 - 取手市

 

駅へ戻る途中にあった、造り酒屋の田中本家。今年2015年で360周年の老舗。右の板塀が味わい深かった。

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ガラス戸を入ると、雛人形による酒造りの展示があった。

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 動き出しそうにリアル。靴屋とこびとの絵本を思い出した。

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下記はお店のHPより。

明治17年(1884年)、現在の牛久市域で陸軍近衛砲兵の射撃演習が行われた際、明治天皇が行幸し、牛久の旧家が行在所となりました。天皇が利根川を渡り行在所に向かう途中喉の渇きを訴え、造り酒屋の水なら大丈夫、という事で差し出されたのがここの井戸水でした。天皇が大変満足されお気に召した為、天皇の行在所滞在中、水を運ぶこととなり、その功により明治天皇より下賜されたのが「君萬代」の銘柄であると伝えられています

 

商品名は君萬代。純米吟醸酒と純米酒を購入。

http://www.kimibandai.sake-ten.jp/20081001up.html

フェイスブックもある。

清酒 君萬代 (田中酒造店) - 茨城県 取手市 - 醸造所 | Facebook

 

お店の側面には大きな蔵が続いていた。

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蔵の横の道を進むと台地上のお寺に続く石段があった。門が半開きだったが入ってみた。

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山門から振り返ったところ。かつては利根川の流れも見えたはず。

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実は駅近のお寺だった。下記は取手市のサイトより。

取手駅東口を降りると、すぐ目の前にこんもりと樹木の生い繁った小高い丘の上に、承平元年(931年)平将門が祈願寺として創建したと伝えられる長禅寺があります。昭和25年に、茨城百景の一つに選ばれています。

 

山門をくぐってからの眺め。

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振り返ると大きな桜の木のうしろ(右)に、三世堂(さざえ堂)があった。

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下記も取手市のサイト「長禅寺三世堂」より部分抜粋。

南側の石段をのぼりきると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂です。外観は2層ですが内部3層で、「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっています。棟札によれば、宝暦13年(1763)に建立された堂が大破したため、享和元年(1801)に再建されたとあります。1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父三十四か所観音札所、3層に西国三十三か所の各本尊の写しを安置しており。合計百体の観音像があることから、百観音堂と呼ばれています。

さざえ堂は他には、群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、長禅寺を含めて全国で5棟しか残っておらず、大変に貴重な建物です。

 

図面入りの説明板もあった。

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なんと来る4月18日(土)の9:00 ~10:30と12:00~15:00で内部の特別公開(しかも撮影可)があるそうです。

県指定文化財長禅寺三世堂の内部特別公開を行ないます - 取手市

また来ないと、と思いつつ、実は翌週の4/5にも取手に来てしまった(次回以降のエントリで)

 

帰り際、取手駅のホーム最南端から利根川方向の眺め。

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品川行きの先頭車両に乗ったら、上野から先は運転台の後ろに三重の人垣ができていた。

 

※その後に再訪しました。