3月最後の日曜日、取手の東漸寺(とうぜんじ)観音堂の特別公開(3/27~29)へ。
前日の中川船番所資料館にあったパンフ(コピー)に誘われて。
いただいた、ちょっと粗いモノクロコピーでは屋根が茅葺きに見えたが、行ってみたら銅板葺きでの修復だった。(現地にあった下記パンフの上の写真)
柏駅で常磐線快速に乗り換える。下の写真は上りの品川行き。
特急「ときわ」 先頭のガラス曲面で速そうに見える。
同じ車両でも「ひたち」は「速達タイプ」でこれまでの「スーパーひたち」の置き換わり、「ときわ」は停車駅が多いタイプでかつての「フレッシュひたち」の置き換わり。
ホームから見上げる柏そごう。尖頭アーチ型の窓や壁飾りの連続が楽しい。
取手駅で、関東鉄道常総線に乗り換える。1両編成の気動車。
重厚なエンジン音と一両編成特有の線路の響きを味わいながら1駅だけ乗って「西取手駅」へ。車両に比べホームが長い。
終点の下館まで行くには1時間半ほどかかる。
駅の出入り口は高架下。周囲は静かな住宅街だった。
駅から北側に道なりに進み、右カーブの次の信号を左折。そのまま進んで2車線の通りを渡ると台地上への上り坂になり、坂上に目指す東漸寺があった。正面がわからず裏手から入った。
平成27年1月22日に茨城県の文化財指定を受けたばかりの東漸寺の観音堂。数組の方々が来られていた。
御本尊は馬頭観音。
お堂の前の説明板は、まだ「取手市指定」のままだった。
市指定文化財
観音堂・仁王門
この堂宇は、寛文7年(1667)に創建されたもので、屋根は寄棟造りで向拝をつけ、木鼻の型式は室町時代末期から江戸時代初期の雰囲気を止めている。
仁王門は、元禄3年(1690)吉田村の清左衛門と称する篤信家の寄進によるものと伝えられ、単層八脚門となっており、市内唯一の建造物である。
観音堂には、聖僧行基の作と伝えられる観世音菩薩像が安置されており、家運隆昌、除災招福、特に馬の息災には霊験著しい尊像として古くから敬信を集めている。陰暦7月10日の縁日は俗に万燈といわれ、近郷近在の信者が境内をうずめ希にみる賑わいを呈したものである。
昔乗馬のままお堂の前を通ると、落馬すると言われた為めお堂と道路の中間に銀杏を植樹して見えないようにしたという。今に残る「目隠し銀杏」がそれである。
昭和56年6月2日指定 取手市教育委員会
モノクロコピーの写真では茅葺きと間違えたが、それほど屋根の曲線の補修が見事だったということ。
昭和26年に降雪被害を受けた後に鉄板葺きとなったが、解体復元修理(平成18~20年)前の写真ではボロボロになっていた。
特別拝観なので観音堂の中に入れた。市の職員の方がおられて説明を聞くことができた。
内側からみたお賽銭受け。外陣にある。
外陣と内陣を分ける欄間の掘りものも見事。
内陣に入ると宮殿(くうでん:厨子)や仏像を間近で見ることができた。
茨城県指定文化財 東漸寺観音堂・山門 附(つけたり)
宮殿 天明元年(1781)
朱や黒漆、金箔で豪華に装飾されていた。
宮殿の手前に置かれた馬頭観音像。宮殿内部に安置された本尊を模してつくられている。その本尊は33年に1度しか御開帳がない秘仏だが、次回が1,2年後に迫っているそうだ。
右側に不動明王。
その前には護摩壇のようなものがあった。
左側には毘沙門天。
その前には、おみくじ入れの引き出しなどが置かれていた。
外陣には絵馬も。日露戦争のものか。
外へ出て、お堂の周囲を巡る。七分咲き位のしだれ桜。
お堂の左手にはクスノキの巨木。樹高26m、幹周り7mで、取手市の保存樹。
左端が本堂。その右前のお堂では馬を祀っていた。
ガラス越しに2頭(実物大か)
観音堂と山門との間には大銀杏がある。推定樹齢620年とのこと。
迫力ある幹。火災にあったが再生している。
重厚な茅葺き屋根を持つ山門。元禄3年(1690)の創建。
側面の破風の屋根の先が絞ったような形になっていて面白い。懸魚(げぎょ:火除けの飾り)が3つもついていた。
整然とした軒下。
美しいカーブに、しばし見とれた。
仁王様は色鮮やかだった。
鐘楼の屋根は銅板だったが、破風の上部の絞り方は山門の茅葺きと同じ形だった。
こちらが正面。
ズームすると銀杏が微妙に観音堂を隠していた。
取手市のサイトにも観音堂の解説がある。
このあと、埼群古墳館さんのサイトで目星をつけていた古墳に向かった。東漸寺は台地の上にあるが、北へ向かうと平地が開けた。
つづく。