前回のエントリの「大軍都・東京を歩く」の本で、九段会館が「まもなく解体される」とあったので、3/8日曜日の午後、写真に収めに行った。
以下はWikipediaより
・九段会館(旧軍人会館)
施工:1934(昭和9年)年3月
設計者:川元良一(同潤会設計部長、奥野ビル・旧銀座アパートメント)
施工:清水組
「帝冠様式」の建物のひとつ。以下はWikipediaの「帝冠様式」の項より。
1930年代(昭和10年前後)の日本において、伊東忠太、佐野利器、武田五一らによって推進された和洋折衷の建築様式である。彼らが審査員を務めた競技設計では様式規定に日本趣味が盛り込まれ、鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根をかけたデザインが選ばれた。
この様式の例として他に、神奈川県庁舎(1926)、名古屋市庁舎(1930)、日本橋高島屋(1930)、京都市美術館(1930)、東京国立博物館本館(1931)、尾張徳川美術館(1931)、愛知県庁舎(1931)、静岡県庁舎(1935)などが紹介されていた。
下の写真の玄関口の方には立ち入ることができない。
八角形の明かり窓がアクセントになっている。
太い四角柱が並ぶ車寄せ。奥はパーキングタワーか。
以下もWikipediaより転載。
軍の予備役・後備役の訓練、宿泊を目的に建設される。
二・二六事件では戒厳司令部が置かれた。太平洋戦争後の運営は財団法人日本遺族会。「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」(昭和28年法律第200号)により、本来は国の財産であるが会に無償貸与していた。
地上4階塔屋付、地下1階 鉄骨鉄筋コンクリート造
ホールやレストラン、宿泊施設などを備え、結婚式、各種公演、会議、試写会などに使用されていた。
2011年3月11日 東京観光専門学校の卒業式の最中に東日本大震災が発生し、天井仕上げ材の一部崩落で2名の方が亡くなられ、26名が重軽傷を負ったとのことでした。
ちょうど4年前ということになります。亡くなられた方にあらためてご冥福をお祈りします。
案内板の前をさえぎるように、植え込みから木が育っていました。
以下もWikipedia。
この事故を受け、日本遺族会は会館の営業を終了し、建物を国に返還することを決定した。跡地には新しいビルが立ち、新築される建物も、一部は事務所として日本遺族会に貸し出される予定。
前を通る内堀通りも新しくなるようです。
スクラッチタイルは古さを感じさせません。
内堀通り沿い、北側の入口。
軒周りの意匠が凝っています。
ここで結婚式を挙げられた方も大勢いらっしゃると思います。
重厚な扉板。
向かいの「昭和館」2階テラスから。屋上の樹木がよく茂っているようでした。
お濠を隔てて武道館の屋根が見えました。
建物自体に罪があるのではないので、貴重な歴史遺産のひとつとして残していただきたかったと思います。
向かいにある「昭和館」 窓がなく慰霊碑のような建物。
昭和館について
昭和館は戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃までをいいます。)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集・保存・展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する国立の施設です。
入館料は大人300円 。戦時中の暮らしを伝える展示物が充実。1階のニュース映像の視聴覚室は無料で見られる。
内部撮影は不可でしたが、一部の体験コーナーのみは可でした。
バケツ7kg、結構重かったです。
つづく。