前回のつづき。
岡本太郎美術館を出て、一旦枡形山を登り、北東側の門を出てしばらく行くと、四阿があった。
ここが飯室山出城。枡形山城の前線。
周囲の林には墳丘のような盛り上がりもあった。
四阿からの眺めも十分見応えがある。
スカイツリーは肉眼でも見えた。
下に目をやるとスキー場のような斜面。
整備された階段を降りていく。下から四阿を見上げたところ。
そこにいくつもの横穴があった。
説明版も完備。
生田長者穴横穴墓群
生田長者穴横穴墓群は、飯室山の北麓に築かれた横穴墓群です。この横穴墓群は江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」にも「長者の穴」として紹介されてあり、古くから人々に知られていました。
昭和43年(1968年)、ここに宅地造成計画がもち上がったため。川崎市教育委員会では3度にわたって調査を実施しました。その結果、3つの小さな谷の斜面に30基以上もの横穴墓が群集して発見されたました。これらの穴は多摩丘陵の基盤層である飯室層と呼ばれる比較的硬い泥岩の地層に堀り込まれています。
これらの横穴墓は遺体を遺体を安置する玄室と玄室に通じる墓道である羨道からできており、羨道の前には墓前祭祀を行うために前庭部が残っているものもあります。横穴墓の大きさは奥行約3~6m、幅約1~3mほどの規模で、平面形には四角形・台形・羽子板形などがあり、四角形が時代的に古く、羽子板形になるにしたがって新しくなると考えられています。発掘調査では埋葬された人の歯や骨のほか、副葬品である金環・勾玉・勾玉・管玉・小玉などの装飾品や鉄鏃などの武器が発見されました。長者穴横穴墓はこうした出土遺物や横穴墓の形態などの特徴から、7世紀に築造された横穴墓群で、この地域を治めていた豪族の一族の墓ではないかと考えられます。
なお、出土した副葬品は川崎市民ミュージアム(中原区等々力緑地内)で実物を見ることができます。川崎市
柵があるので中には入れない。
散策路は谷をはさんで2本ある。
上記の右側。
パノラマ撮影で全部はいった。
反対側の斜面にも数基。フラッシュを焚いた。
すぐ下は住宅地でマンションも建つ。住宅地との間の道沿いにもいくつか横穴があったが、板で塞がれていた。
開いたままのものもあった。
「神奈川の古墳散歩」には、「遺跡ガイドブックー川崎の古墳巡りー」の解説も引きながら、横穴墓を次のように紹介している。
♪酒は桝飲み枡形山よ 山の横穴ほらばかり
これは昭和4年、詩人北原白秋が、地元青年団の求めに応じて作詞した「多摩川音頭」の一節で、ここに詠まれた”山の横穴”は、長者穴古墳群をさしています。・・・長者穴の名も、勾玉や金環などの装身具が多く発見されたことから名付けられたものでしょう。したがって、当初はかなり多くの副葬品が添えられていたものと推測できます。
もう一度、向ヶ丘遊園駅前の案内地図。中央の緑の部分の左端、ループになっているところが長者穴横穴墓がある場所。
この日の最初の訪問地、根岸古墳群から8エントリ目。5時間弱の探訪でしたが充実した散歩旅でした。忘れないうちにアップしないと、と急いだので頻度が上がってしまいました。おつきあいいただきありがとうございました。
日本民家園や、岡本太郎美術館へ行かれる際には古墳や城址もセットでぜひ!