前回のつづき
展示館の地下展示を見て、通路の先の階段を上がると、26号墳の前に出た。
26号墳 径14.5m 高さ2.1m 幅約1.5mの周溝がある。
各古墳には写真付きの説明板がある。
全体図(再掲) 26→28→29→復原古墳→32→31→30の順に見てまわった。
28号墳 径15.6m、高さ1.8m、幅約1.7mの周溝がある。
保存古墳については、保護のために盛土をし、ほぼ元の大きさに復原している。
29号墳 径15.6m、高さ1.4m、幅約1.6mの周溝がある。
29号墳からは葺石の一部らしきものが周溝から見つかっている。
墳丘の「山並み」と丹沢の山並み。
復原古墳(1号墳の復原した形で移築) 径28m、高さ5.6m、幅約5mの周溝がある。
桜土手古墳群で最大の古墳(だった)
1号墳は、他の古墳と少し離れて、古墳群の南端に造られていた。
ちなみに、推測がはいるのが復元、オリジナルが確かのものを復原というようだ。
葺石で覆われた、いかつい表面。墳丘上からは展示室にあった(儀式か何かで叩き割られた)大きな須恵器が発見されている。
自由に石室内に入れる。復原といっても石はオリジナルのようだ。
↓左右の河原石と、巨大な天井石。
↓石積みは上に行くにしたがって狭まり、8個の天井石を支える。
↓河原石も大きい。ひとつでも持てなさそう。
↓最奥部。
↓中から外を見たところ。きれいに清掃されていて中にいても気持ちよい。
ちなみに当古墳には、珍しい特有の造りがあった。
1号墳の墳丘には石室を取り巻くように石垣状の石組みがありました。この石垣はとても立派に造られていますが、古墳が完成した時には墳丘の中に隠れてしまい、見ることができません。同じものが7号墳にもありますが、これは他の地域の古墳には見られない特異な構造です。
32号墳 1号墳の余韻のせいか墳丘自体の写真をとりそびれてしまった。
径14.5、高さ2m、幅約2mの周溝があった。
↓32号墳の墳丘上から復原古墳。
↓同じ位置から展示館方向。
31号墳 径11.2m、高さ0.8m、周溝幅約1.1m
↓説明板の表示より高い印象。
↓墳丘の右肩の奥、樹木の陰に富士山が隠れている。
↓アップすると雄姿がわかる。
墳丘を造ったときも富士山を意識していたに違いないと思えた。
30号墳 径22.8m、高さ2.5m、周溝幅約1.7m
展示館の正面にある保存古墳。
公園入口のオブジェ「まほらの奏で:真坂雅文作」
説明板の解説文。名文で心を動かされたので転記。
丹沢の山々に囲まれ、富士山と相模湾が望めるおだやかな地形の秦野に、古くから人々が住み、文化を築き育ててきたことをみると、美しい風景は、人の心を動かし常に新しいものを生み出すものです。”まほらの奏で”と名づけた作品は、昔の人が大切にした大地に、今日までとぎれることなく続いた人々の夢の広がりを樹木の成長に表現してみました。
西側の記念碑の丘は、祖先が眠る聖地を考えて、明日香の石舞台古墳やヨーロッパ等に見られるドルメン、ストンヘンジなどの巨石に感じられる、古代の謎を秘めた遠い昔の香りを演出してみました。訪れた人達が、丹沢の山並みを眺め、古墳のもとで大昔をしのび、静かにゆっくりと、時の流れに身をまかせる憩いの場所となるよう願うものです。1990年 作者
すがすがしい気持ちになった。
次に河岸段丘の上に行って古墳公園を見下ろしてみようと思い、歩きだした。
つづく。