墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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行徳散歩3 常夜灯 千葉県市川市本行徳

前回のつづき。

行徳街道の写真を撮り忘れたので、ストリートビューから。

「笹屋うどん」あたりから南西方向。道は正面奥で鍵の手に曲がる(スマホで見ると画面が曲がる。地元発見伝の機能、復活していただけたら嬉しいです)

 

右への路地が何本もあり、すぐに旧江戸川河岸になる。

土手の上には200年前に造られた常夜灯があった。

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この地は「新河岸跡でもある」

行徳新河岸~新河岸の賑わい~

江戸時代の新河岸(現在地)は、船で往来する人や物資などで賑わう場所で、成田山につながる成田道の起点でもありました。江戸川・常夜灯を背にして、旧行徳街道までの間は江戸名所図会にも描かれており、その様子が伺えます。

この道筋には、まず番人が詰める施設と掟などが記された高札場や、旅人などが休息をした信楽などの旅館がありました。旅館信楽は、近江国信楽出身者が行徳にちなむ呼称です。信楽から道(旧行徳街道)を挟んだ向かいの建物が「笹屋」と言われるうどん屋です。「笹屋」は、江戸時代の文学作品にも記され、源頼朝が訪れた伝承を残しています。

明治時代に入り、江戸川に蒸気船が運航されると、地元では「蒸気河岸」とも呼ばれるようになりました(下図)。「蒸気河岸」の発着場として新河岸界隈は多くの人々で賑わっていました。市川市教育委員会

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錦絵には蒸気船「通運丸」が描かれていた。

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【再掲載】品川の物流博物館で200円で購入したペーパークラフト。

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利根運河、利根川も航行していた蒸気船。


 ぜひ実物で復元していただきたい。

 

土手への階段を上ると別の説明板もあった。

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市指定有形文化財 常夜灯 昭和35年10月7日指定

この常夜灯は文化9年(1812)、江戸日本橋の成田講中(成田山新勝寺への講)の人々が建てたものです。成田講中が航路安全を祈願して建てたと推察されます。なお、側面には協力した人々の名前が刻まれています。江戸時代、成田山新勝寺には江戸から多くの人々が参詣しました。行徳は、江戸から成田にかけての重要な中継地でした。

左下の図は「江戸名所図会」に描かれた現在地の景観です(下図・再掲)

左隅に常夜灯と思われる灯篭が建っています。江戸時代後半の記録にも、常夜灯は「川岸に立つ」とります(「葛飾誌略」)。また図には、現在のような堤防は描かれておらず、船から降りた人々は高低差の小さな地から陸地に上がったとみられます。

そして、常夜灯付近の現在地を新河岸(船着場)とも呼びました。

「新」の字が示すように、元禄3年(1690)、図にあるような景観が整備されたと推察されます(「葛飾誌略」)。また、この地から江戸に向けて船が行き交っていました。一般に、この船は行徳船と呼ばれ、江戸川を下り、新川・小名木川を経由し、日本橋小網町まで就航していました(約12.6km)。成田講中の人々や行徳産の塩も、行徳船を利用して江戸に運ばれたようです。

また有名な人物として、松尾芭蕉(俳人)や渡辺崋山(田原藩家老)なども行徳を訪れています。特に渡辺崋山は、「四州真景図巻」という作品の中で常夜灯及び周辺景観をスケッチしています。

明治時代になると、江戸川には蒸気船が見られるようになります。

「成田土産名所尽」という記録には、明治期以降の常夜灯周辺の様子が描かれています(注:前出の説明板の写真)。常夜灯周辺が多くの人々で賑わった様子がわかります。そのため、常夜灯は江戸川を行き交う人々の目印の役割もはたしてきたと思われます。

平成21年(2009)、現在地周辺は常夜灯公園として整備されました。

2012年市川市教育委員会

【再掲】「行徳レポート」にあった江戸名所図会「行徳舩場」

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堤防に上がっても、見上げるほどの高さがある。

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文化9年(1812年)の年号もしっかり刻まれている。

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旧江戸川(常夜灯公園より少し上流)、放水路との分岐の上流方向。

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上記と同じ位置から対岸、江戸川区。王子製紙の工場がある。

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旧本州製紙の工場からの廃水で環境汚染が起こり(黒い水事件、昭和33年)、漁業が成り立たなくなり、浦安漁民は海面埋め立てを受け入れ(昭和37~46年)、そこに現在の浦安市の南半分が、そしてTDLが出来たという歴史があった。

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つづく。