前回のつづき。
千葉市埋蔵文化財調査センターから、戸建ての家の屋根越しに丸みを帯びた丘が見える。センターも丘の上なので一旦下る。
住宅街の中を進んでいくと、ヌッと小山が現れる。
・大覚寺山古墳 前方後円墳 全長63m 4世紀後半
入口がわかりにくい。ここに来るのは2度目だが周囲をぐるぐるしてしまった。
前回は春だった。
墳丘の東側の道。住宅街の真ん中にある。
上記の道の途中にある説明板。
千葉県指定史跡 大覚寺山古墳 昭和46年3月26日指定
生実丘陵の南端に突き出した小支丘全体を利用して築かれた全長約63mの前方後円墳です。未発掘ですが、墳丘の規模や形態などから4世紀後半のものと思われ、千葉市では最古最大の古墳です。
5世紀ごろは中央政権の確立とともに南関東に古墳が出現する時期なので、生浜中学校の校庭にあった七廻塚古墳とともに、当時の大和朝廷と東国との関係を知る上で貴重な存在です。
昭和57年3月 千葉県教育委員会 千葉市教育委員会
その先の公園が、入口につながっていた。
一振り(なんと数えるのか)だけになったブランコ。
その先に門のような入口があった。
いざ墳丘へ。左は石の説明板。
手前が前方部。きれいに芝生が手入れされた墳丘に上がらせていただく。
前方部から公園入口を振り返ったところ。
前方部から後円部。やわらかな膨らみだが堂々とした姿。
後円部から前方部。
前方部の東側。画面のさらに右に、文化財調査センターがある。
後円部から南東方向。木々の間から東京湾方面が見渡せた。
人を入れて写すとこのような大きさ。
斜面についていた歩道を進んでみた。途中で振り返ったところ。
左下の家は廃屋だった。
おそらく上記の道より少し斜面を上がった場所からの44年前の写真。
以下はWikipediaより抜粋。
大覚寺山古墳は長らく古墳であることが知られておらず、昭和44年(1969)、宅地造成のために山林を伐採して、初めて前方後円墳であることが判明した。後円部頂が比較的平坦で広く、後円部の大きさの割に前方部が短い。葺石や段築は認められず、埴輪も確認されていない。
周辺は古墳の密集地域であり、おゆみ野ニュータウンの建設時には千葉県都市公社及び千葉県文化財センターによって、288基もの調査が行われている。
1600年ほどを経てきた古墳群の、貴重な生き残り。
歩道を進んでいくと民家の駐車場のような場所に出た(後ろの階段から手前に出てきた)
ここを入っていくのは難しかろう。
文化財調査センターに戻って車に乗り、おゆみの駅近の別の古墳群に寄って帰った。