墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三菱一号館・明治生命館 (外観のみ) 東京都千代田区丸の内

11月30日、日曜日の朝。

・三菱一号館

ジョサイア・コンドルが設計し1894(明治27)年竣工、1968(昭和43年)に解体した後に、2010年(平成22年)に復元した。

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オリジナル解体の理由は三菱一号館のサイトには老朽化のためとあるが、Wikipediaでは企業活動上の理由もあったように記されている。

 

建築様式は「クイーン・アン様式」、アン女王時代(1707-1714年)当時の様式とされたもの。19世紀から20世紀はじめごろの西欧で、過去の建築様式を復古的に用いて設計された「歴史主義建築(18世紀の新古典主義建築と20世紀のモダニズム建築に挟まれた時期に現れた建築傾向)」のひとつ。

イギリスでは1888年に竣工したスコットランドヤード(二代目庁舎@London ノーマン・ショウ設計、現存せず)が「クイーン・アン様式」だった。

 

日本が西欧化に突き進んだ明治の19世紀後半は、建築の手本となった西欧でも多様なな復古的建築様式が溢れかえっていたときであり、日本で築造された建物もネオバロック様式、ネオゴシック様式、新古典主義様式などざまざまだった。

コンドル自身はヴィクトリアン・ゴシックの建築家だが、1896年竣工した岩崎久弥邸(旧岩崎邸)はジャコビアン様式(イギリスにおける初期ルネサンスのリヴァイヴァル)だった。

ちなみに、コンドルの一番弟子の辰野金吾設計による東京駅にも、クイーン・アン様式の影響が色濃いそうだ(以上もWikipediaより)

 

建物の詳細は三菱一号館のサイトへ。

三菱一号館 | 三菱一号館とは

復元竣工時の企画展

一丁倫敦と丸の内スタイル展 三菱一号館竣工記念

 

バックに聳えるのは三菱地所が保有する34階建ての丸の内パークビルディング。新日鉄住金や三菱商事が入居する。

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※追記 明治44年刊行の写真集の中の三菱一号館

八重洲町通[拡大画像] | 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から -

丸の内全景[拡大画像] | 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から -

 

レンガの地に、柱石の白が映える。三角屋根の切妻の意匠が凝っている。

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屋根にバロック教会のファサードがくっついているようだ。

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こちらは夜のイルミネーションがきれいな仲通り。

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 ・重要文化財 明治生命館 

三菱一号館と隣り合うブロックにある。以下もWikipediaより。

設計は岡田信一郎・捷五郎(兄弟)、1930年(昭和5年)起工、1934年(昭和9年)竣工。

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太平洋戦争後に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が接収。アメリカ極東空軍司令部として使用され、1956年(昭和31年)に返還された。

1997年(平成9年)に昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けた。

 

巨大なコリント式列柱が並ぶ、古典主義様式に則ったデザイン。

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レンガの壁の三菱一号館よりギリシア式柱列の明治生命館の方が様式の起源としては古いが、前者が明治で後者が昭和と逆になる。

 

アカンサスの葉が象られたコリント式の柱頭。

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岡田信一郎は大阪市中央公会堂や鳩山一郎邸などの設計者でもある。

 

鳩山邸とはまるでスタイルが異なるが。

 

皇居側から離れてみると、バックの30階建ての明治安田生命本社屋(一体化している)の前で、小さく見える。

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皇居の濠をはさんでの西面。

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濠からパレスサイドビル方向。

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皇居の石垣が、ギリシア式柱列と正対していた。

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