墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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御嶽塚古墳群(みたけづか) @東京都府中市西府町(にしふちょう)

連休中日の11月2日、東京文化財ウィーク2014の一環でくにたち郷土文化館が開館20周年記念秋季企画展「くにたち発掘」関連事業として開催した「遺跡(史跡)ってなあに? ~遺跡に行ってみよう!~」に行った。

往復はがきで応募したら前日の11/1に案内通知が来た。親子で応募していたがハズレたと思っていたので子供は予定が入り、一人で参加。

 

南武線西府駅に10時集合、古墳巡りをして谷保駅近くで13時過ぎに解散。

参加者10数名に、くにたち郷土文化館や国立市教育委員会の方が3名同行。

他市からの参加は自分を含めて2人。親子参加1組。市の方から名前で呼ばれている常連の方が複数名いらしてアットホームは雰囲気。

市教育委員会の清水さんの解説を受け、質疑を交わしながら、立川段丘の縁に連なる御嶽塚古墳群と下谷保古墳群を、崖線の地形を味わいながら歩く、贅沢な少人数ツアーだった。

 

南武線西府駅は2009年3月に出来たばかりの新しい駅。駅周辺を整備するにあたり新たな古墳も見つかっている。

駅コンコースには熊野神社古墳の大型看板が目立っていた。

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駅の北口。正面空き地にはスーパーができるようだが、その手前あたりには御嶽塚16号墳(消滅)があった。

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南口へ降りる。右が駅の建物。左正面の木々の下が御嶽塚5号墳。

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御嶽塚5号墳 円墳 直径25m 

現在までに20基が確認された御嶽塚古墳群で唯一墳丘が残る古墳。

説明板の前で解説を受ける。

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詳しい説明板。写真の下に内容を転載。

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府中市指定文化財(史跡) 御嶽塚

御嶽塚は、もともとは古墳時代に築造された古墳で、直径約25mの墳丘とその周囲に幅約7mの溝がめぐる円墳でした。その後、中世になると屋敷を堀で囲む約200m四方の区画の中心に位置することとなり、さらに、江戸時代には信仰の対象として祀られることになったと考えられます。

現在、塚上に祀られている石碑には「御嶽大権現 安政五午年 十一月吉日 小野宮願主 内藤伊助」の銘があります。御嶽信仰は、山岳信仰のひとつで、中世以降さかんになり江戸時代に各地に広まりました。小野宮は、現在の住吉町3丁目に所在する小野神社周辺の集落で、本宿村に属していました。

西府文化センター周辺では、御嶽塚の他にも、古墳時代後期の6~7世紀はじめ頃に築かれた13基(注:2014/11時点で19基)の古墳が確認されています。墳丘に記された円筒埴輪や石室に収められた圭頭大刀、金銅製の耳飾などが出土しています。これらの古墳は、この塚の名に因んで御嶽塚古墳群と呼ばれています。その範囲は、東側の新鎌倉街道から西側の国立市境付近にまでおよんでいます。

御嶽塚の北方約500mの位置には、国史跡武蔵府中熊野神社古墳が所在しています。御嶽塚古墳群よりも後の時代に築かれたもので、上円下方墳という国内でも数少ない墳形の古墳です。発掘調査の成果をもとにして、当時の姿に復元されています。 平成21年3月 府中市教育委員会

 

当日のパンフによれば、20基はすべて円墳で、半地下式の河原石積横穴式石室が確認されたものは8基(1,3,9~13,20号墳)、周溝が確認されたものが17基。土器など時期のわかる遺物の出土が少ないため、石室のある古墳の時期については7世紀中葉前後までと考えれているとのこと。

 

説明板の隣には周囲の地図も。府中市域中心で、御嶽塚古墳の位置は左端になっていたが、右下に高倉塚古墳が示されていて両者の位置関係がわかった。高倉塚古墳は10月半ばに探訪した。

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御嶽塚古墳は2mくらいの高さの墳丘。御嶽塚公園の一部であり自由に上がれるようになっている。

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墳丘の祠。大木が立つ。

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西府駅方面の眺め。

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駅と反対側、西府文化センター方向の眺め。文化センターの南はもう崖線。

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これまで見た中で、最も駅に近い物件のひとつ。

ひとつでも残ったのは良かった。古墳の隣は自転車置き場。近所の方は毎日古墳と対面できて羨ましい。

 

南武線のこの区間(分倍河原ー立川間)は1929年(昭和4年)に開通している。

南武線は立川段丘に沿って敷かれていて、ちょうど古墳群がつくられる位置とかぶっているので、線路敷設でなくなった古墳も多いようだが、昔は電車の窓から墳丘の土盛りがポコポコ見えたらしい。

千葉の龍角寺古墳群の中を電車が走っているようだったのだろうか?

 

つぎに駅の北600mの熊野神社古墳へ向かった。

つづく。