墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「美術、応答せよ!」 森村泰昌著

サブタイトルは「小学生から大人まで、芸術と美の相談室」

美術、応答せよ!: 小学生から評論家まで、美と美術の相談室 (単行本)

美術、応答せよ!: 小学生から評論家まで、美と美術の相談室 (単行本)

 

 

文章がとても読みやすい。

美術家、森村氏が小学生から画家、大学教授までの質問に懇切丁寧に答えて(応えて)いくなかで、美術(≠アート)に対する著者の考え方が伝わってきます。

 

計37個の、どの質疑応答も奥深いですが、印象に残った27番、28番を。

 

27番は「美術をふつうに家に飾れる日本になるには?」に対し、

「すべての美術活動の応援団になるか」と「自分がいいと感じた美術をこそ主張すべきか」の2項間で結論が見えない中、前者はポピュリズム、後者は原理主義に陥る危険をはらむ。この両者の間で右往左往しながら「私にとっての美術の道は何処に」と模索するプロセスが表現活動につながっており、「我迷う、ゆえに我あり」が座右の銘だ、との答え。

 

また28番は「美術家として、書くということとはどういうことか?」に対して、

若いころは対人恐怖症で「孤高の小説家」に憧れていたが挫折、だが美術の道にはいって美術制作が活発になると、制作過程で考えたり、鑑賞者からの質問に答えを探したりするなかで、それが言葉にまとまり書籍も出すようになった。作品をつくるだけでなく解説も書くことで、「ある美術家=自分自身」の人生をテーマとした思想小説を書いている自分がいる、との答え。

 

だから文章がわかりやすいのか、と合点しましたが、言葉にまとめることで「美術とは何かがわかる」ということではなく、「わかりにくさ」や「迷い」を自覚し「問い」を持って接し続けると「ときどきわかると思える瞬間がやってくるよ」と、言われているのかなと解釈しました(まとめすぎですが)