3連休の中日、府中の実家に行くついでに、2つの古墳群を探訪した。
このあたり、多摩川が削った段丘が数段あり、崖線上に複数の古墳群が発掘されている。まずは、国立市の四軒在家(しけんざけ)古墳を訪ねた。
JR南武線矢川駅から徒歩10分。2001年に国立市の土地区画整理事業に伴う調査で一度に10基の古墳が発掘され、調査後削平されたが、1つだけが公園内に復元された。
どこにでもありそうな住宅地の公園。
普段は子供たちの遊び場なのだろう。サッカーボールがひとつころがっていた。この日は誰もいなかったので、じっくり見学できた。
広場としての「公園」が主なので、墳丘は隅っこに遠慮がちに造られていた。
円墳の周溝部分は赤色の素材で示されている。
・四軒在家(しけんざけ)古墳群 1号墳(復元) 円墳 外周径20m 7世紀前半
石室部分は長さ4m、幅1.5mほど。説明板によれば右壁の石はオリジナルのよう。
座ってみると、足湯の浴槽にような大きさ。
墳丘も含めて復元できたらよかったが、安全性とかまたハードルが高くなるのだろう。
説明板全体
内容は下記に転記。
◆発掘された古墳
平成13年度に国立市四軒在家土地区画整理事業に伴う四軒在家遺跡の発掘調査が行われ、10基の古墳が発掘されました。10基もの古墳が一度に発掘された例は都内にはなく、国立市のみならず、この地域の古墳時代の歴史を解明する上で大変貴重な発見となりました。これらの古墳は、これまでの発掘から、”青柳古墳群”の一部であることが分かりました。今から約1400年前の古墳時代後期(7世紀前半頃)につくられたものです。
古墳は”墳丘”と呼ばれる塚状の盛土をもつ”円墳”ですが開墾等により墳丘は失われていました。古墳の墳丘の周囲には、”周溝”と呼ばれる溝が掘られ、中央には埋葬施設としての”石室”があります。石室は多摩川の河原石を積み上げてつくられた”河原石積横穴式石室”と呼ばれるのもです。また、古墳の石室からは、直刀や鉄鏃等の武器や、玉類の装飾品が副葬品として多数出土しました。これらの出土遺物が一括して市指定文化財となっており、くにたち郷土文化館に収蔵されています。古墳の被葬者は、つくられた年代と古墳の内容等から、この地域の集落の長クラスの権力者と考えられています。
◆1号墳の移築保存
1号墳の石室は、南側を入口とする”河原石積横穴式石室”で、被葬者を安置する”玄室”と入り口からつながる”羨道”がつくられています。玄室と羨道の境目部分は玄門と呼ばれ、その床部には境目を区切る石が置かれていますが(梱石:しきみいし)、この古墳にはありませんでした。1号墳の玄室と羨道の壁は、上から見ると弧状を呈する”銅張形”と呼ばれる形態をもちます。この形態は、石室の河原石を狭めながら積上げ(持ち送り)天井を造る際、石室の広さを保つためと考えられています。
石室は本来、推定復元図のように何段もの大きな河原石が積み重ねられ、天井を覆うようにつくられていたと考えられます。残念ながら、1号墳は、残りの良い部分でも壁石が3~4段で、その上から天井にかけては失われていました。ここでは、残りのよい右側に合わせ、一部補足再現しています。周溝部分については舗装表示、その内側の墳丘部分は芝の表示とし、一部石室の高さまで盛土を再現しています。
平成21年9月 国立市教育委員会
このあと、説明板にあった「くにたち郷土文化館」に行ってみた(直線距離で600m弱)
くにたち郷土文化館 常設展は無料 駐車場あり
ガラスの渡り廊下を通って、階下の展示室に下りるようになっている。
古墳の出土物は錆びた刀の破片や鏃だったが、見事な縄文土器(顔面把手付土器)などの充実した常設展だった。残念ながら撮影不可。
売店で、周辺のハケの道の散策マップ(200円)を買った。
周辺散策のガイドは郷土文化館のサイトにも詳しい。
こちらのパンフレットも購入(300円)
こちらの写真集も買ってしまった(800円)
こども時代は国立の学校に通っていたので、非常に懐かしかった。
国立スカラザの写真もあった。
国立の昔の写真は、文化館のブログで定期的に更新されていて興味深い。
なんと10/24~12/9では、秋季企画展「くにたち発掘~最近の発掘調査から~」が開催される。遺跡見学会もあるようなので、再訪しなくては・・・