墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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八幡二子塚古墳 群馬県高崎市八幡町

前回のつづき。

観音塚古墳からは歩いて駅へ向かった。すると途中にも大きな古墳があった。

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駐車場のチェーンはかかっていたが、中に入らせていただいた。

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前方後円墳のようだが説明板等がないので、現地では名前もわからなかった。

 

・八幡(やわた)二子塚古墳 前方後円墳 全長66m 6世紀前半 市指定史跡

下記は高崎市のサイトより。

八幡二子塚古墳は全長66メートル・2段築造の前方後円墳です。古墳の周囲には一重の堀(周堀)が巡っており、墳丘には葺石(ふきいし)が施されています。周堀内からは、円筒埴輪のほか人物・馬形等の器財埴輪が出土しており、墳丘上にはかつて多くの埴輪が並べられていたことが推定されています。埋葬主体部は、横穴式石室が想定されます。周囲にある平塚古墳(5世紀末)と観音塚古墳(6世紀末)の間の6世紀前半にに築かれた古墳であると考えられます。平塚古墳・観音塚古墳と共に、この地域の歴史を解明していくために欠かすことの出来ない古墳です。

八幡二子塚古墳 | 高崎市

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墳丘に上がらせていただいた。この写真を撮った後、足がもつれてコケてしまった。

やわらかい土の場所だったので大事にいたらずカメラもセーフ。が、少し泥にまみれ、傘の骨が曲がってしまった。

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傘を慎重に直し、気を取り直して墳丘を歩かせていただく。

 

くびれ部から前方部方向。

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前方部裾の地面には、気になる大きな石が置かれていた。

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裾の右側にも。

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くびれ部から後円部。

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後円部から南東方向。向こうの台地との間に碓氷川があり、その名の通り、碓氷峠、横川を抜けて流れてくる。川に沿って中山道があり、信越本線も作られている。

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当古墳のある台地の北には烏川があって、碓氷川とは5km程東の高崎で合流、その8km先で鏑川(荒船山の方から下仁田、富岡製糸場の脇を経て流れ来る。川沿いに上信電鉄)と合流し、さらに12km下った本庄の北で利根川本流と出会う。

群馬県って、人が多く住む東南部は「川のまち」であることを実感した。水運があるかから古代から多くの人が住み、これだけ多くの古墳が築造されたのだろう。

前橋(利根川)も伊勢崎(広瀬川)も桐生(渡良瀬川)も、すべて川沿いの町だ。

 

駅へ戻る途中に下記の案内図があって、ここで古墳の名が二子塚古墳であることを知った。

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 つづく。