浦添グスク・ようどれ館から一旦道路に出て、その先へ100mほど進むと駐車場があり、公園のようになっている(入園無料)
少し上って左に下りると「浦添ようどれ」
門扉があって、AM9時からPM6時まで開門。
整備された石段を降りていく。
右は珊瑚岩の崖だが木の根で覆われた場所も。ここにも気になる注意書きが。
下まで降りると「暗しん御門(くらしんうじょう)」がある。
案内板もあった。かつてはトンネル状になっていたが、沖縄戦で上部の岩盤は崩壊した。
そこを抜けると墓庭への門がある。
ここでは斜面の下に降りられるようになっていて、石積みを堪能できる。
美しいカーブ。
沖縄県立博物館・美術館がなぜあのような形になったかを理解できた【再掲載】
石積みは幾重にも連なっていてる。左の上は丘の上のグスクの石垣。
スイング撮影。
下記は、ようどれ館にあったパネル。2000年~2004年にかけて復元工事が行われた。
復元当初は石壁が真っ白に輝いていたようだ。
門の場所に戻って墓庭へ向かう。
門の横から見た眺め。嘉数高地も見える。
中にはいって門を見たところ。曲面が気持ちいい。
墓庭内部。手前が西室で英祖王陵、奥が東室で尚寧王陵になる。資料館で復元展示されていたのは西室の方。
正面から見た西室。
内部は浦添グスク・ようどれ館に復元。
石壁で囲まれた墓庭は静まり返っていて、聖域の雰囲気があった。
もときた道を上がる。
石段を上がって少し坂をのぼると、石垣が見えてくる。
手前には「ガマ」が口を開けていた。丘という丘が陣地化されていたのだろう。
左手が斜面で直下に「ようどれ」の石積みがある。
道をそのまま上がって、石垣を振り返ったところ。城(グスク)としての遺構は、この石垣だけのようだった。
浦添グスクは世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に含まれていない。
世界遺産登録されたグスクは、首里城跡、今帰仁(なきじん)城跡、座喜味(ざきみ)城跡、勝連(かつれん)城跡、中城(なかぐすく)城跡。
浦添ようどれ・グスクが復元されたのは世界遺産登録2000年の後だったので、間に合わなかったか? 歴史的重要性は高いと思うので、早く仲間に入れてあげたい。
個人的には首里城しか見ていないので、次の機会はきちんと計画を立てて訪れたい。
世界遺産|沖縄のここがポイント?歴史・文化?|沖縄修学旅行ナビ
石垣の先、慰霊の塔や菩薩像が並ぶ林の中を抜けると丘の頂上部の草原に出た。
東屋からの眺め。左の先が嘉数高地、正面奥が普天間基地になる。
パンフではこの先が展望台だが立ち入り禁止になっているので引き返す。この広場にはかつて浦添家の館があった。
広場を戻ると「ディーグガマ」があった。グスク内の御嶽(拝所)の一つで大きなデイゴの木があったことに由来するようだ。
入口の様子。戦時中は避難壕として使われたよう。
別の入口。格子にレンズを入れて撮ったもの。撮ろうとしたら、急に数羽の蝶が飛び立って驚いた。
丘の上の林の中には巨木もあった。戦争前からあったのだろうか。
土曜日の昼ごろでしたが、資料館も公園もほとんど人に会わず。1人で散歩している方2名と、観光客らしきペア1組。静かな場所でした。
ここを通って首里までは尚寧王が石畳の街道を造っており、ところどころきれいに復元されています。特に安波茶橋(あはちゃばし)のあたりは昔の面影が残っているようです。今回は時間がありませんでしたが、次の機会があれば訪れたいと思いました。→市指定遺跡:中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)