副題は「米海兵隊地獄の7日間」
昨年の夏にはじめて読んで、今回沖縄に行くにあたって再読した。
- 作者: ジェームス・H.ハラス,James H. Hallas,猿渡青児
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 単行本
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沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間 (光人社NF文庫)
- 作者: ジェームス・H.ハラス,James H. Hallas,猿渡青児
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2010/08/30
- メディア: 文庫
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日米の戦争で硫黄島の戦いの方は、栗林中将の手記があったり映画にもなったりしたので米軍側が苦戦したことを知っていたが、沖縄戦でもこれほど苦戦した場面があったとは、この本を読むまで知らなかった。
沖縄での戦闘は、昭和20年3月26日から6月23日まで。
その前半の首里攻防戦の趨勢を分けたシュガーローフヒル(安里52高地)争奪の7日間(5/12~5/18)は、圧倒的に優位な米軍に対して日本軍が互角以上に戦い、攻撃を担った米軍第6海兵師団は2000名を超える戦死傷者を出した(沖縄戦全体の米軍側死者・行方不明者は12,520名)
著者は「自分なりのやり方で、シュガーローフ上で戦った不屈の海兵隊員たちに報いたい」と考え、戦闘記録やフィルムを調査し約100人の退役軍人へインタビューを行って本にまとめた。
別の記事でいくつか紹介させていただくが、読んでいるだけで脈が早くなり、胃が上に上がってくる。
これまで何本か戦場のリアルさを描いた映画を見たが、自分が見たどの映画より壮絶だ。(兵士の心情まで書かれているせいかもしれないが)
訳者のあとがきには次のように書かれている。
「黄燐弾や、火炎放射器、飛び交う砲弾の破片など、沖縄戦では普通に使われていたこれらの兵器が、いかに人体に影響を破壊するかは、最前線で身を持って体験した兵士たちの証言がその残酷さを伝える唯一の手段であると考える」
著者は、最後の「忘れられた兵士たち」で章で下記のように書いている。
「もし状況が異なれば、シュガーローフも、タラワや硫黄島のように有名な戦場になったかもしれない。しかし、さまざまな理由がかさなり、シュガーローフが第二次世界大戦の年表で言及されることはなかった。まず、激しい戦闘があったのは事実だが、沖縄ではほかにもたくさんの丘や尾根で血みどろの戦闘があった。さらに前後して、4月12日にフランクリン・D・ルーズベルトの死去、5月8日にドイツ降伏、原子爆弾の投下のような大ニュースがつづき、最終的に戦争が終わったため、この戦いが注目されることはなくなった。
アメリカは戦争を忘れたがっていた」
もし、この著者が本にまとめていなかったら、日本軍、米軍ともに命をかけた戦いが忘れ去られていたということは、とても恐ろしいことだと思う。
さらに言えば、大多数の日本軍兵士は死ぬしか道がなかったために、沖縄戦で11万人の日本兵が亡くなり(米軍第6海兵師団によるものだけで20,582人:326頁)、日本側で「何があったのか」はこのような記録では残されていない。
特攻隊も悲劇だが、穴の中で死ぬまで戦うしかなかった兵隊も悲惨だ。
そして、なぜ死ぬまで戦わざるを得なかったかについては、今でもきちんと総括されていない。他の島々で繰り広げられた「玉砕」についても。
皮肉な言い方で恐縮だが、「死守」という言葉が普通に使われていることにも違和感がある。「死ぬ」という単語がはいっているにもかかわらず、「頑張ります」ぐらい使い方を自分もしてしまっているように思う。
その原因は、実際過去に何があったかが忘れられていたり、そもそも伝えられていなかったりすることにも起因するのではないか。
あとがきによれば訳者の猿渡氏は本業があるかたわらで、「通勤電車の中で」「足掛け3年もの歳月を費やして」完成させたそうだ。著作も翻訳も民間人の手で行われたということも偉業だと思います。