裏表紙にあった、「縄文と弥生は断絶していなかった!我々の古代観を一変させた縄文研究の第一人者が、居住環境、流通システム、葬送の儀礼他、現代日本と縄文との連続性を全く独自の切り口から考察」という案内に導かれて興味深く読んだ。
目次は下記
はじめに 私が目指す縄文的生活
第1章 数百年から千年以上も続いた縄文集落
1 縄文人はどんな場所を選んで住んだか?
2 祖先が一万年以上住み続けた土屋根の竪穴建物
第2章 海・山の幸と自然物の利用
1 縄文「里山」、「水場」と植物利用
2 今日まで続いた縄文の海の豊かさ
第3章 定住を支えた手作り生産と物の流通
1 縄文遺跡間を動いた物
2 アスファルトの精製と運搬、利用
第4章 縄文人の心と祈り
1 縄文女性の一生
2 女の願い、祈りの土偶
3 シャーマンと祈り
4 狩猟文土器などに見られる祭り
5 重要な役割を担った縄文女性
第5章 墓・埋葬とゴミ捨て場・「送り場」
1 送りと送り場
2 死者を送る「葬送」
3 今に伝わる送りの哲学
第6章 縄文的生活文化の終わり
1 昭和30年代に迎えた大変革
2 今後の方向性
おわりに 歴史に学ぶべき現代
目次の通り、広範な内容がわかりやすくまとめられていた。
特に惹かれたのは、第1章ー2の土屋根の竪穴建物の項。
はじめに岩手県一戸町の御所野遺跡の土屋根竪穴住居の写真の紹介。
地中から掘り出した縄文時代の竪穴住居跡から、どのように住居を復元するかについて著者は「研究が始まった当初の古建築学が、カヤ葺き屋根だった江戸時代以降の民家などを参考にして竪穴建物を復元したことから、以来、史跡公園の復元竪穴建物は、ずっとカヤ葺き屋根でした。それでは、集落の景観やたたずまいが、往時とはまるで違うことになります」と指摘している。
著者は、竪穴建物遺構が「焼けている」割合を調べた結果、アイヌ文化に見られた家焼きの風習を除けば、数%~10%であり、燃えやすいカヤ葺きであったとしたら「少なすぎる」ことや、屋根から焼け落ちた土の固まりが残っているケースなども調べたことから、竪穴住居の土屋根説を提示されており、「なるほど!」と思いました。
自分は竪穴住居遺跡の土屋根復元は見たことがないですが、藤森照信氏のタンポポ・ハウスのように、土の屋根は室内の温度や湿度を一定に保つ、「エコな効果」があるそうです。
・・・東京都国分寺市にあったとは知らなかった。
2か月前に市川の須和田遺跡に行ったとき、15年ほど前に作った復元家屋が無かったことが気になっていたが・・・
白川郷の古民家のように、カヤが朽ちると新たに村人総出で葺き直していたかも、とかも想像してしまうのですが、一戸町以外の全国では、ほとんどが土屋根ではなく茅葺きのまま、ということは、仮説が定説にまでまだなっていないのか、定説が変わったが作り直す費用の課題なのか、を知りたくなりました。
おまけ
・中に入れる復元竪穴住居のある博物館
加曽利貝塚にもありました。
・藤森照信氏の建物
昨年夏に諏訪で見た建物は、今でも心に残っています。