前回のつづき。
大堤権現塚古墳から、もと来た道の「芝山はにわ道」を松尾横芝ICまで戻って、さらに2キロほど北に行くと殿塚・姫塚古墳がある。道路左側のサインに沿って農道のような細道にはいり、300mほど進むと目的地。車3,4台が停められるスペースがある。
上の看板の裏が殿塚(中台6号墳)
下は殿塚の後円部と周堤。
堤の上からスイング撮影。前方後円墳の左上の位置から。
大きくて立派で英訳もある案内板があった。さすが国指定史跡。
殿塚・姫塚について
1958年6月28日 国指定史跡
芝山町には古墳が多く散在していますが、この殿塚・姫塚はその中の代表的なものです。この2つの前方後円墳の築造は古墳時代後期の6世紀末と推定されています。殿塚は、長軸88m・高さ13mで2重の周溝を持ち、姫塚は長軸58m、高さが6mあります。
1956年早稲田大学が発掘調査を行い全国でも稀な形象埴輪の行列がほぼ完全な状態で出土し、一躍有名になりました。
殿塚からの出土品は形象埴輪の他、石室から頭推の太刀・青銅椀・勾玉・ガラス玉・金環等があり、姫塚からは、やはり形象埴輪の他石室から勾玉・切子玉・金環・飾り太刀・馬具が出土しています。
特に、姫塚の埴輪は整った美しいものでこれ等の出土品は、芝山仁王尊の「芝山ミューゼアム」、「芝山町立古墳・はにわ博物館」に展示され一般に公開されています。 芝山町
いつも参考にさせていただいている「房総の古墳を歩く」には詳細データの記載がある。
殿塚古墳 前方後円墳◆6世紀後半◆所在地 横芝町中台字外記◆全長88m◆方位 N-106°-W◆前方部幅55m 高さ7.7m◆後円部径58m 高さ8.6m◆二重周溝◆長方形◆埋葬施設 横穴式石室(梱石によって前後2室に区分)前室2.45×1.2m 後室2.47×1.4m 羨道なし ◆出土品 頭推太刀1、直刀5、鉄鏃数10、刀子1、金銅製耳環3、玉類、銅椀3、金銅製鈴8、埴輪(円筒・朝顔、人物55以上、翳、太刀、家、馬、猪、犬、牛、鳥)◆備考 1956年早稲田大学調査、1988年県教委測量調査
後円部から前方部方向。墳丘の桜は葉が落ちて秋の風情だが、周囲はつくつくほうしの大合唱だった。
前方部から後円部方向。
前方部上から前方部左下の裾の角部分。
殿塚の前方部裾付近の周堤。右が殿塚(88m)、左に姫塚(58m)がある。
前回来たのは5月だったが、このあたり、野生の藤の花が満開で紫の屋根のようになっていた。
前方部の裾に、別の案内板がある。
裾側が「関東ふれあいの道」につながっているので、「道」を歩いてきた人は、ここで古墳に出会う。
看板左の盛り上がりも円墳。
関東ふれあいの道の道しるべ。
「ふれあいの道」は、道しるべの指す方向には草が茂っていて、あまり人が歩いていなさそうだった。林の中にも数基の円墳があるはずだが、別の機会とした。
もどって姫塚へ。
横から見た姫塚。
前方部に上がらせていただいて、後円部方向。
実測図によると、姫塚の石室は前方部(入口は右側)にあった。
後円部から前方部。
「房総の古墳を歩く」より、姫塚のデータ。
姫塚古墳 前方後円墳 7世紀初頭◆所在地 横芝町中台字外記◆全長58.5m◆方位 N-96°-W◆前方部幅36m 高さ4.8m◆後円部径35m 高さ4.5m◆埋葬施設 横穴式石室 全長 5.72m◆出土品 方頭太刀1、直刀13、鉄鏃、 刀子、金銅製雲珠6、鉄地金銅張杏葉1、金銅鞍金具1組、轡2、玉類、金銅製耳環6、鉄釘、埴輪(円筒・朝顔、人物、馬)、須恵器、土師器◆備考 1956年早稲田大学調査、1988年県教委測量調査
このあと、この日の目的地、芝山の2つの「はにわ博物館」へ。
かつて姫塚や殿塚の墳丘に並んでいた、数十体の人物埴輪を見た。
※殿塚、姫塚古墳の最初の探訪時の記事はこちら