墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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シンポジウム「古墳研究のさきがけ・ガウランドを考える ~これまでの研究成果と大英博物館所蔵資料に関する新知見~」 基調講演 大塚初重先生

9月20日(土)の午後、駿河台の明治大学でシンポジウムを聴いた。

9月28日まで、地階の明治大学博物館で開催中の企画展「ウィリアム・ガウランドと明治期の古墳研究」に合わせた形で開催。

10日ほど前にこの企画展を見たときに、シンポジウムの案内チラシがあって興味を惹かれた。

タイトル:古墳時代のさきがけ・ガウランドを考える ~これまでの研究成果と大英博物館所蔵資料に関する新知見~

主催:明治大学博物館・日英共同調査グループGowland Project

後援:特定非営利活動法人WAC Japan WAC-8 京都実行委員会

会場:明治大学駿河台キャンパス アカデミーコモン9階 309A教室

 

基調講演:大塚初重氏(明治大学名誉教授)「ガウランドの古墳研究とその意義」

報告1:忽那敬三氏(明治大学博物館)「ガウランドが残した古墳の写真と記録」

報告2:諫早直人氏(奈良文化財研究所)「ガウランド・コレクションの馬具」

報告3:土屋隆史氏(宮内庁書陵部)「ガウランド・コレクションの武具」

報告4:竹村亮仁氏(京都府埋蔵文化財調査研究センター)「2冊のガウランド直筆ノート」

報告5:Luke Edgington-Brown (University of East Anglia and the British Museum) 「大英博物館のウィリアム・ガウランド・アーカイブとガウランドが受けた影響」

報告6:一瀬和夫氏(京都橘大学・Gowland Project リーダー)

 

13時から17時まで4時間、発表資料集は50頁。これで無料!

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混雑を予想して45分前に行ったが、すでに20人位の先客が。開始時には120名の枠が満杯になった。年配の方が多い(自分もそうか)が、若い方もちらほら。

大塚先生の基調講演は75分。ご自身が若い時(といっても41歳のとき、昭和42年)に明治大学在外研究生として大英博物館のガウランド・コレクションを調査されたときの体験談を交えた面白いお話だった。

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(パワポ写真資料以外は撮影可とのことでしたので載せさせていただきました)

実は自分は、9月5日開催予定だった大塚先生の講演(江戸東京博物館での「発掘された日本列島」展・「日本発掘!ここまでわかった日本の歴史」⑤古墳時代)に往復はがきで応募して行けることになったが、急遽中止になったので気になっていました。

が、この日はご自身の75分の講義はもちろん、続く報告も最後まで熱心に聞かれていて(見守られていて)、お元気でなによりでした。

 

大塚先生の著書は何冊かこれまで読んで、先生への興味が高まっていましたが、想像していたとおりの、パワフルでユーモアあふれる方でした。88歳(米寿ですね)には全く見えませんでした。

土の中に日本があった: 登呂遺跡から始まった発掘人生

土の中に日本があった: 登呂遺跡から始まった発掘人生

 

 (ちなみに、下記も古墳入門編としてとても読みやすいです)

 

講義の内容(部分)

1967年に60人の大学職員・学生に見送られて出国。アメリカに立ち寄ってロンドンに着いたのが8月15日。それから50日ほどかけてコレクションを実測する毎日。「マーコ」という実測器(はじめて聞きました)を須恵器などの曲面にあて、それを平面図に写し取る毎日。11:30から13:00までは昼休みで部屋をでなくてはならず、博物館近くの食堂でスパゲティを食べてばかりいたら、食堂の人に「ミスタースパゲティ」と言われました、なんて話も。(何度も笑いがあふれる講義でした)

 

ガウランドについては、まだ19世紀という時代に、現在でも研究に耐えうる調査、出土物の整理を行っていたという「おどろき」が、先生やそのほかの講演者から語られていた。

芝山古墳の調査では、石室床面をグリッド状に分類し、どの遺物がどの位置にあったかがわかるように整理されている。それも、発掘時には何かわからなかった細かい破片も含めてすべての出土物について。

「見た目のよいものだけを持っていく」ようなやり方ではなく、そのときに把握できた全てを、将来の調査にも役立てられるような形で残したという点は、「近代的手法」であり、「極めて質の髙い業績を残した」と言えるそうだ。

ただ、残念ながら、大森貝塚を発見したエドワード・S・モースの、発見後直ちに東京大学の学生など日本人を連れて学術発掘を行った例と比較して、ガウランドは単独(造幣局の部下や人力車の車夫は一緒だったようだが)での調査だったということで、もしガウランドの「科学的な方法論」がそのときの日本人に伝えられて根付いていたら、大正・昭和年代の古墳研究の姿は違っていた(もっと進んでいた)かも知れない、とのことでした。

が、ガウランドの「単独の」調査にもかかわらず、大型古墳の実測図は正確で、奈良のコナベ古墳(205m)や大阪の太田山古墳(226m)などは、後に宮内庁が測量したものと極めて近似している。大塚先生は、昭和の前半に下池山古墳(125m)を二人で2泊3日で調査した経験があるので、それがどれだけの偉業かもわかるそうです。

 

大塚先生のガウランド研究については、大英博物館での調査から帰国したら学生運動の時期を重なってしまい、学部長や理事を任ぜられたこともあり、学会で発表する機会を逸することになってしまったそうです。

 

以上、大塚先生の話の一部を自分なりにまとめさせていただきました。

このあとの方々の報告も興味深いものばかりでしたが、100年以上を経た資料や、すでに消滅してしまった古墳の資料でも、ガウランドが残した出土物の欠片やその位置から、新しい研究成果が導き出されるということに驚きました。

研究者のみなさまは、悉皆(しっかい)調査、(ことごとくみなしらべる:初耳の単語でした)で、ご苦労もあると思いますが、ぜひ、ガウランドがそして大塚先生がとつながれてきたバトンを、さらに未来につないでいただきたいと思います。

2,30歳代の若い方が真摯に取り組んでいる姿にも感銘を受けました。

講演の最後に、2016年の夏に京都で開催される「世界考古学会第8回大会(WAC-8)の案内もありました。東アジアでの開催ははじめてになるそうです。

 

最後に、説明いただいたガウランド・プロジェクトのみなさま、準備いただいた明治大学の関係者みなさま、誠にありがとうございました。

当方の認識の誤り聞き違いもあると思いますので、このブログを見る機会がありましたら、どうそご指摘ください。(コメント欄、デフォルトは非公開です)

 

大塚先生、いつまでもお元気でいてください!