墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

「知られざる大英博物館 日本」 NHK「知られざる大英博物館」プロジェクト編著

図書館の書棚で知った本。

ウィリアム・ガウランド(本ではゴーランド)が、NHKスペシャルで取り上げられていたとは知らなかった。

NHKスペシャル 知られざる大英博物館 日本

NHKスペシャル 知られざる大英博物館 日本

 

Nスペ取材班は当初、「知られざる大英博物館」3回シリーズの対象は、「古代エジプト」「古代ギリシア」と「インカ・マヤ」の予定だったとのこと。大英博物館側の中南米担当の学芸員が足りなくて取材できないことがわかり、その過程でガウランド・コレクションの情報が入ってきた結果、3回目を「日本」としたそうだ。

 

上記の本には、貴重な写真や図版が数多く掲載されている。29歳で明治初期の日本に来てから16年間、古墳の科学的な調査を行った様子が紹介されている。

 

番組では、ガウランドが調査した奈良県橿原市の丸山古墳(墳丘長310m、石室28.4m!)の、最新技術による再調査も取材していた。

ガウランドの実測図では、丸山古墳の石室や石室奥壁が、他の横穴式石室型古墳でよく見られるような後円部中心の位置からずれていた。

しかし、再調査ではガウランドの実測値が正しかったことがわかる。

石室が中心からずれていた原因は、丸山古墳が造られた6世紀後半という時期には、巨大な墳丘内部に巨石で大きな石室や長い羨道を造ることが技術的に難しくなっていたから、と考えられるそうだ。

丸山古墳以降の畿内の古墳は、石舞台古墳のように墳丘は四角く小ぶりになっていった。

 

本の168頁には、ガウランドが古墳研究に至った理由について触れている。

ガウランド・コレクションを管理してきた大英博物館のビクター・ハリス氏によるもので、1872年に来日した前後の世界の考古学界の盛り上がり(下記年表)が影響したという説。(元は「ガウランド 日本考古学の父」2003年朝日新聞社)

 1859年 ダーウィン「種の起源」

 1866年 大英博物館でA・W・フランクスが石器/青銅器/鉄器の時代区分で展示

 1872年 ガウランド来日

 1873年 シュリーマンによるトロイ遺跡発見

ガウランドは ダーウィンやシュリーマンと同時代の人だった。

NHKスペシャル、見たかった・・・

 

ガウランド関連のデータ (上記の本より)

 大英博物館のガウランド・コレクションの数 約1000点

 調査した日本の古墳の数 406ヶ所

 残っている撮影されたガラス乾板 212点

 作成した略測図 140点

 

そして、本日9/20、明治大学での公開シンポジウム「古墳時代のさきがけ・ガウランドを考える」を聴講することができました!大塚初重先生の講演を直接聴けて感激でした!

次回で報告します。