墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「おどろきの東京縄文人」 瀧井宏臣著

江戸東京博物館で見た、東京縄文人の復元過程が本になっていた。

著者は、元NHK社会部記者の方。

大きな文字でルビが振ってあるので小学生でも読めるようになっている。

新宿区市谷加賀町二丁目のマンション建設現場で、人骨が発見された時の様子、骨を組む人、肉付けを復元する人、型取り・成形して復元モデルをつくる人、の手を経て、縄文人のレプリカがつくられる過程が丁寧にレポートされていて面白かった。

おどろきの東京縄文人 (世の中への扉)

おどろきの東京縄文人 (世の中への扉)

 

 貝塚や水分を含む土地以外では、土壌の酸が骨を溶かすので人骨が長期間残ることはないと考えられてきており、現場では「捨てた食べ残しに含まれる銅や鉛などの金属類が骨をうすくおおい、溶けにくくしたのではないか」という議論がなされたそうだがまだ調査中とのこと。

発掘調査結果として、2013年1月30日にニュースリリースが発表されている。

http://www.city.shinjuku.lg.jp/whatsnew/pub/2013/0130-01.html

 

本の中で、国立科学博物館の坂上研究主幹(人骨鑑定のプロフェッショナル)のコメントが紹介されたいた。

46頁「頭がい骨の違いを見れば、縄文人と弥生人の顔つきには大きなへだたりがあることがはっきりしています。稲作文化を持った人たちが大陸から日本列島にやってきて縄文人と交流し、いまの日本人のルーツになっていったと考えられているのです」

また、下記の記述もあった。

52頁「ところで、日本人の身長は弥生時代に入ってから急に高くなり、男性の平均身長は163cm、女性の平均身長は151cmになりました。これは、大陸から日本列島に移ってきた弥生人が背が高かったうえに、稲作が普及して食べ物や暮らしが変わったためと見られます。その後、日本人の身長はしだいに低くなり、江戸時代には男性156cm、女性145cmと縄文時代より低くなります。そしてまた、明治のあとに急に高くなり、現在は男性171cm、女性158cmとなります」

 

 上記は本の「本筋」ではない部分だが、最近自分が気になっていた、「縄文時代から弥生時代にかけて、千葉(関東)の人は在地のまま変わっていったのか、またはとって代わられたのか」という「謎」に関わるところ。

だが、それは「わかったとしても、so what?」という話でもある。そもそも、ユーラシア大陸のどんづまりで(関東、千葉はさらに大陸側から見ると日本列島のどんづまりで)、北から南からのルートで人が混ざっていった場所である。

逆さ日本地図 http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1510/kj00000275.html

混ざり方が「友好的か」「征服なのか」も、拘りすぎると「友好的と信じたいために」にストーリをつくることになる。気をつけたい。

 

29頁には縄文時代の人口にも触れている。

「縄文時代中期から後期にかけて、気温の変化などの影響で、日本列島に暮らす縄文人の人口は大きく減り、中期には26万人ほどだった人口が、後期には16万人ぐらいにまで減ってしまったことが、遺跡の数などを調査することでわかっています」

 

人口の変化については、別の本も読んでみたので次の項で。