埋文センター見学の後、せっかく市原に来たので、いくつかの遺跡・古墳を巡った。
まずは上総国分尼寺跡へ。
はじめに「史跡上総国分尼寺跡展示館」に入る。入館無料だが立派な施設で、大きなジオラマを使いながら当初の国分尼寺の姿を丁寧に解説していただける。瓦や須恵器、墨書土器などの展示も見られる。
自分は今回は3度目の「リピーター」なので、直接復元建物へ向かった。
広大な芝生の先に、朱色の復元回廊が見えてくる。
回廊付近にあるパネル解説より。
「史跡上総国分尼寺跡 回廊と金堂基壇の復元
国分尼寺の本尊をまつる金堂を中心として、回廊、中門からなる範囲を金堂院と呼びます。平成3~8年度の整備事業によって、この金堂院を復元しました。
回廊は幅20尺=6mの瓦積みの基壇の上に立つ、礎石建ての単廊です。国分尼寺では、他の建物同様、平安時代に至るまでに何度か建て替えられたことが発掘調査からわかっていますが、ここでは伽藍が最も整備された奈良時代後半当時の姿を復元しました。
復元にあたっては、建築史学の研究成果と発掘調査の結果をもとに、古代建築の特徴を忠実に再現しました。
金堂は桁行7間23.4m、梁行13.2mの四面庇付きの七間堂でした。堂の内部には須弥壇が設けられ、本尊が安置されていました。
今回の復元では、瓦積み基壇上に、柱位置に礎石を据付け、壁位置には狭間石を並べ据えました。須弥壇側面の各狭間(ごうざま)の模様は、奈良時代の遺構である坂田寺講堂跡の出土例を参考にしています。
金堂及び中門の中央を結ぶ軸線上に再現した瓦敷の参道上には、金銅製の燈籠を復元しました。復元は、同時代の唯一の現存例である東大寺燈籠を参考とし、近年の研究成果にもとづいて行いました。以下データは省略」
陽射しが強かったので、回廊の日陰、瓦材の床が心地よかった。
修復が終わったばかりなので、柱の朱色や垂木の先端の黄色が鮮やか。
「古代建築の特徴を忠実に再現」しているので奈良にいるような感覚になる。
回廊の内側から見た中門。
回廊内側から金堂基壇に向かって右側。平らな瓦を煉瓦のように積んでいる。
向かって左側。左右対称に造られている。
上記の写真を撮った位置の背中合わせに、金色の燈籠がある。東大寺の国宝、金銅八角燈籠(高さ4.6m、奈良時代のオリジナル)に比較してしまうと、かなり小さくなるが、それでも金色に光り輝いていて、金堂建物に代わって「中心感を請け負っている」ようだ。
柱の下は、礎石の形に沿って削られている。「ひかり付け」という技法で、歯医者でカチカチ赤い色を付けて削っていく感じ。
金堂基壇の上の礎石。
金堂が復元される予定はないようだ。(回廊の復元より費用がかかるらしい)
回廊の外側から見た金堂基壇。実物が無理ならARの再現を見たいところ。
展示館内のジオラマの金堂。中央の少し右、鐘楼と経楼の間の建物。
寺域に塔は持たないが、約12万㎡の面積は奈良法華寺に匹敵し、全国国分尼寺の中で最大規模。寺を運営する上で必要な施設が確認されるなど、全国に先駆けて全貌が明らかになっている。
外側から見た回廊と中門。
1年前に来たときは修復中だった。
http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/06/24/164037
中門の外側にあるパネル解説より抜粋。
中門は、法隆寺東大門、東大寺転害門、唐招提寺金堂、海龍王寺西金堂などの奈良時代の建築物を参考に復元。礎石は蛇紋岩の自然石、木材は木曽ヒノキ、ただし重みがかかる大斗には堅いケヤキ、軒先の垂木等には水に強いヒバを使用。
木部の表面は手斧、ヤリガンナ仕上げ。塗装はベンガラ(赤)、緑青(緑)、胡粉(白)を使っていたが、平成25年度の改修では色落ちや管理面を考慮し、頭貫以下と破風には耐久性のある木材保護塗料を用いている。
つまり、奈良時代から残っている建物を参考に、工法も含めて復元した貴重な建物。
関東で天平時代に思いを馳せられる、貴重な場所です。