日曜日、午前中はW杯中継を見て、午後から子供と房総のむら・房総風土記の丘へ出かけた。
土曜日にデジカメを久々に買ったので早速古墳を写して見ようと2週間ぶりの墳行。
途中雲が出ていたが、陽射しの強い午後だった(下は、車の後席からガラス越しに子供が撮った雲)
まずは岩屋古墳へ。
奥の駐車場に停めると、すぐ古墳の入口になる。
ウッドチップの道がフカフカで歩きやすい。徐々に近づきつつ、全国第2位の方墳の大きさをひしひしと感じられるアプローチ。
開口している石室。だが、鍵をかけて厳重に管理されている。
格子の中にカメラを入れて撮った。綺麗な石組み。
全長4.8m・奥壁幅1.6m・高さ2.5m
石室は、同一辺に2つ並ぶが、右側のものはロープが張られ、その内側には草が繁っているので観察できない。
石室のある辺へは、台地下側からのアプローチ(2、30mほどか)がある。
この位置からの偉容が素晴らしいが、最奥部は林にかぶるので薮蚊の攻撃が激しかった。
こちらの古墳(古墳群全体)では、墳丘へ上ることは禁止されている。
以下は、案内板からの転載(下記の「前回訪問時」に写真あり)
国史跡 龍角寺古墳群・岩屋古墳
岩屋古墳(龍角寺105号墳)
時期/7世紀中頃 墳形/方墳 一辺/78m 高さ/13.2m 三段築成
埋葬施設/切石積横穴式石室東西2室(貝化石を含む軟質砂岩、天井一部が筑波山系片岩)
指定年月日 昭和16年1月27日
追加指定年月日 平成21年2月12日
古墳時代終末期の方墳としては、全国第1位の規模を誇ります。龍角寺古墳群中、最後の前方後円墳である浅間山古墳(龍角寺111号墳)に後続して築造されたと推定され、龍角寺の創建に係り、後の埴生郡司につながる印波国造一族の墓と考えられています。また、平成20年1月に行われた測量調査では、石室が開口する墳丘南側の崖面に、古墳築造時の物資の搬入路或いは古墳完成後の墓道、祭祀場に利用されたと考えられる舌状張出地形の存在が確認されました。
岩屋古墳の存在は古くから知られており、天正19年の「下総国埴生庄龍角寺之郷水帳」によれば、すでに岩屋が開口していたことがわかります。また龍角寺の七不思議のひとつとして、三ヶの岩屋の隠れ座頭の椀貸し伝説が残されています。
これまでは墳丘部のみが国史跡に指定されていましたが、龍角寺や埴生郡衙推定地など、古代国家形成期における東国の景観を残す遺跡群の歴史的意義に鑑み、周辺地形を含む龍角寺古墳群・岩屋古墳として追加指定及び名称変更され、千葉県で最も広い面積の国史跡となりました。
栄町教育委員会、栄町観光協会
※前回の訪問時(2013/6/9)の記事はこちら
※最初の訪問時(2013/3/28)の記事はこちら
つづく。