太田天神山古墳のある太田から、東武伊勢崎線で3駅に世良田(せらだ)がある。太田市の西端だが、新田義貞の出身地新田荘があり、天神山で会った地元の方も「新田(にった)」と呼んでいた。
地域一帯の寺社や館跡が「新田荘遺跡」として国指定史跡となっている。史跡には1333年に新田義貞が鎌倉幕府倒幕で挙兵した場所とされる生品(いくしな)神社も含まれる。
世良田東照宮も史跡のひとつで、日光東照宮が徳川家光によって1644年に改修された際、旧社殿の一部が当地に移築された。当地が徳川氏発祥の地であり、当寺(長楽寺)が徳川(得川?世良田?)義季開基とする寺だからだそうだ。
Wikipediaには「関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた」とある。
世良田東照宮の隣地にある資料館で、ある埴輪を見たかったので立ち寄ったのだが、これほど由緒ある場所だとは知らなかった。
東照宮は家康没後すぐは久能山にあったことは聞いていたが、家光による日光での大改修の際、群馬に移築されていたとは。
満開の大きな桜が社殿前を覆っていた。緋毛氈で、ホットモットで買ったお弁当を食べた。
豪華な拝殿は、重要文化財。
拝殿の奥の本殿も重文。軒下の飾りが見事。
拝殿から振り返った眺め。鳥居の先、道の向こうは現在は小学校になっている。
拝殿前にある鉄製の灯籠も重文。1656年奉納で高さ約5mもある。
花吹雪直前の「たわわ」な桜。
一帯は歴史公園になっている。東隣の長楽寺には蓮池と渡月橋がある。
寛政8年の渡月橋。池は「心」の形になっているそうだ。
反対側からの眺め。
東照宮の西隣にある、新田荘歴史資料館(旧東毛歴史資料館)
新田義貞関連の資料が豊富な、立派な施設。5月18日(2014)までは「太田を駆け抜けた馬たち」という企画展があり、馬の埴輪や絵が多数展示されている。
パンフによれば、群馬県は馬形埴輪の出土数が300超で全国一(県名の通り)
これらの埴輪の制作時期は6世紀前半から7世紀初頭のおよそ100年間に限られる。馬は4世紀後半に大陸から伝わり、古墳時代の馬は、鹿児島の「トカラ馬」(体高115cm)と「木曽馬」(同130cm)とが混在していたとのこと。馬具の出土で古いのは、群馬県では5世紀前半(剣崎長瀞遺跡)だそうだ。5世紀後半の木製鞍の一部も展示されていた。
下記の2点が見たかった埴輪。どちらも、表情がよかった。
鷹匠埴輪
http://www12.wind.ne.jp/tomohm/exhibit/prd01-01.htm
埴輪人が乗る裸馬
http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/otabunka30.html
世良田町の南には徳川町も現存する。
なぜ家康が、この地の徳川姓を用いるようになったかは、下記のHPの仮説に頷けた。
http://saradakann.xsrv.jp/index.php?第六章、世良田東照宮、境内
(新田を語る の第六章)
「関東に政権を築いた家康は、関東由来の源氏の血をひく東国武将としての印象と存在を政略的に駆使したのだ」と。
続く。