墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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香取神宮 下海上国(しもつうなかみのくに)香取市の古墳①

日曜日、朝から墳行。残念ながら今回も単独行。

自分にとって定番の、「房総の古墳を歩く」を参考に。

http://www.haniwakan.com/kenkyu/boso/sawara.html

はじめに向かったのは香取神宮。

着いたのは10時台で駐車場もかなり空いていたが、1時間後には満杯になっていた。

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駐車場にあった近辺の案内図

右の中ほど、香取駅のすぐ右が香取神宮。

このあたりは、現在の利根川の北側も千葉県。左上の霞ヶ浦から続く「常陸利根川」が昔からの国境。

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ワイドな門前通りを行くと二の鳥居がある。

香取神宮は下総国一宮。祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)

Wikiによれば、「古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武人として崇敬された。現在も武道分野からは信仰の篤い神社である」とのこと。

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 境内の面積は12万3千㎡、つまり12.3ha。現在の面積だけで鹿島神宮と較べると6分の1くらいということになる。

香取神宮の森も、県の天然記念物に指定されており「巨木が林立」している。

下記の観光協会のHPが、よくまとまっていてわかりやすい。

http://www.suigo-sawara.ne.jp/entry-info.html?id=6076

 

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参拝路を歩き出して、すぐ左に「要石」の案内板があった。脇道にはいっていく。

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気持ちのよい石段を上がる。

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 石柱で厳重に囲われた要石があった。香取は「凸形」で、鹿島は「凹形」なのだそうだ。

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 たしかに、こちらの方が大きく飛び出している。

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 【再掲】鹿島神宮の要石は、かろうじて直径20cmくらいが地表に出ていた。

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 すぐに総門に至る。

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 鹿島神宮と同様に、こちらも12年に一度の午年に行われる式年大祭がある。鹿島神宮は9月だったが、こちらは4月15、16日だそうだ。

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経津主大神が東国を平定したときの様子を模したものとも言われ、三千人が武神の供奉にふさわしい甲胃、その他装束を着用して参加するそうだ。

http://www.katori-jingu.or.jp/jinkousai_2014.htm

 

大きな楼門。国重文で元禄13年(1700年)の造営。額は東郷平八郎の筆だそうだ。

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 楼門をくぐるとすぐに拝殿。後ろに本殿・幣殿が連なる権現造。昭和(戦前)に大修築が行われている。造営時期は楼門と同じで、徳川綱吉が造らせたそうだ。

念入りにお参りした。

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黒漆、金箔、極彩色の模様がきれいで、修繕したばかりのように見える。

 

 

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本殿の左手に宝物館がある(入館料300円)

国宝の「海獣葡萄鏡~唐(隋?)時代、日本三名鏡のひとつ」があるが、「大神社展」に貸し出し中でレプリカがあった。東博での展示で実物も見たが、9寸8分(約30cm)もある。他にも軍艦香取の「紋章」など、興味深い品々が陳列されていた。

 

神札授与所に「ふさの国御朱印めぐり」という気になる小冊子(御朱印帳:200円)があり、思わず購入。房総神社振興委員会という団体が発行。下総15社、上総16社、安房6社の神社の案内と御朱印欄がある。巡ってしまいそうで恐い。

http://boso.jinja.ne.jp/POS_A4-H260121-S.pdf

 

 本殿の後ろには、摂社としての鹿島神宮があった。

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 さらに奥に続く道がある。これは本殿を振り返ったところ。

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小道の先には、年季のはいった「だんご屋」があった。

どなたも遠慮なく~、とあるので、早速昇る。

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 屋上からの眺め。真下は梅林。北側方向で遠くに利根川が見える。かつては鹿島神宮の明かりも見えただろう。

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 梅林に下りる道もあったが、行き止まりになっていた。

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楼門まで戻り、一旦境内を出て、奥宮に向かう。途中の民家の見事な梅。

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 香取神道流の始祖のお墓の案内板があった。「室町時代に形成された、わが国最古の権威ある流儀として知られている」そうだ。

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 質素な墓石が残っていた。

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 道をはさんで奥宮があった。とても静かで、厳かな空気が漂っていた。

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 続く。