2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
亀ケ森・鎮守森の3.5㎞北に灰塚山古墳のピンが立つ。 やはり会津盆地の西端だが、阿賀川の北側で現在の喜多方市内になる。 ピンを目標に進んで着いた場所。 すぐ先の小さな十字路から直線距離で300mほどのようだったが、 細道の突き当りが民家のようだったの…
亀ヶ森古墳から南東800mほどに、会津坂下町埋蔵文化財センターがあったので寄ってみました。月曜日だったので位置の確認のようなつもりで。 かつての小学校(町立広瀬小学校)が、コミュニティセンター&埋蔵文化財センターに生まれ変わっています。 人の動…
前回の亀ケ森古墳の50mほど南西にある、鎮守森古墳。 同じく4世紀後半の築造ですが、こちらは前方後方墳。 史跡 鎮守森古墳国史跡指定 昭和51年5月6日鎮守森古墳は、墳丘の全長が約55mの前方後方墳です。墳丘とほぼ相似形の周堀があるのが確認されました。出…
前回の臼ガ森古墳から北東に約3㎞に、国史跡の亀ヶ森古墳・鎮守森古墳が隣り合って残っている。 さらに北東400mほどに阿賀川がある。川の上流は栃木県との県境の荒海山で、ここから西へは磐越西線と寄り添うように、山の中を流れて新潟県に入ると阿賀野川と…
臼ガ森古墳は、前回の杵ガ森古墳の真北400mに立地する。 会津坂下町のサイトには 、昔、源義家がこの付近に陣を張った際に農民が餅をついてふるまい、その時の杵(きね)・臼(うす)・米をそれぞれ埋めたところが杵ガ森古墳・臼ガ森古墳・米ガ森古墳(消滅…
前回の、会津美里町の横穴墓から北に6.5㎞、会津坂下(あいづばんげ)の町の北西端の県道沿いに、国指定史跡・杵ガ森古墳はあった。 史跡公園として整備されていて見学しやすいが、墳丘は低い。 説明板によれば、4世紀前半築造の東北地方で最古の古墳であり…
前回の吹上円墳の800m西、佐賀瀬川が造った谷戸を挟んだ向かい側の丘陵端に、横穴墓群があった。 県道沿い、耕地整理の記念石碑の脇に、小さな案内板あり。 マップでは、この道の正面の位置にピンが立っています。 路から右手(北側)の眺め。 その先で佐賀…
前回の田村山古墳からは、西に4.5㎞・会津盆地の西縁にピンが立つ吹上”円墳”へ向かった。最寄り駅の只見線・根岸駅からは徒歩24分。 坂を上がった先、新鶴温泉健康センターと道路を挟んだ向かいの階段を上ったテラスから振り返って。 その段の東隅に、その円…
会津大塚山古墳の次に訪ねたのは、西に7㎞ほど、会津盆地のほぼ真ん中の阿賀川西岸に立地する田村山古墳。 周囲を田んぼに囲まれているが、アプローチの道はしっかりしていた。 形のいい松が墳丘にある。 円墳のように見えるが、解説によれば全長25mの前方後…
会津大塚山古墳は会津市街の東寄り、現在は東半分が大塚山霊園となっている独立丘の頂部にあった。 墳丘の裾近くまで墓地内の道が通じていて、見学はしやすい。 説明板の後ろが、もう墳丘1段目のテラス。 昭和時代に立てられた説明板。 国指定史跡 会津大塚…
2021年4月16日から2泊3日で弘前の街を訪ねたが、利用したJR東日本の大人の休日俱楽部パスは4日間の乗り放題なので、もう一日を使って会津の古墳を巡りました(日帰り・単独墳行) 東京駅6:40発のやまびこ203号に乗って郡山駅で磐越西線快速に乗り換え、会津…
5月連休明け、天気が良かった日に銀座7丁目の並木通りへ建物見学(外観)に。 遠くからも目立つ”違和感” 今年の春にオープンした、ルイ・ヴィトン銀座並木通り店で、設計は青木淳。 建物というより、巨大な彫刻作品のよう。 通りに面した2つの面が、複雑に波…
月島を歩いていて目に入って来た”花束” 廃屋(?)の2階部分を覆う、壮大なピンクの薔薇。 建物正面から。 向かって左側の根元。しっかりアスファルトに食い込んでいます。 向かって右側も。 とてもきれいな色でした。ローズ色? ※2021年5月12日時点で、1週…
今回が弘前シリーズ最終回になります。 よんばばさんにはエントリで紹介までしていただいき、ありがとうございました。 素敵な弘前紀行 - あとは野となれ山となれ 最後の一枚、素敵な記念写真でした! 今回弘前の街歩きをしている際に「趣のある建物」という…
弘前市民会館の南、道路を隔てた向い側には地元の名士の別邸があります。 冠木門から入場する藤田記念庭園。 おとぎ話のセットのような洋館は大正10年の築。日本商工会議所の創設者・初代会頭の藤田謙一氏(弘前市出身)の旧別邸で、設計は堀江佐吉の六男・…
弘前には江戸時代明暦2年(1656)に建立された五重塔もある。 弘前れんが倉庫美術館から南西に徒歩8分、土淵川北側の台地上に立地。 小雨模様でしたが、ここもほぼ満開でした(訪問日2021年4月17日) 拝観料を納めて最初に本堂に参拝、振り返っての参道。 一…
弘前公園の北側の仲町には数棟の武家屋敷が昔の地割の中にあり、江戸時代の風情を残しています。 東端の旧岩田家住宅から西端の旧伊東家住宅までは徒歩10分ほどの距離。 旧伊東家生垣の前に、地区全体の解説板がありました。 国選定 弘前市仲町伝統的建造物…
弘前の教会、三連投のラストは、煉瓦壁がとても魅力的な弘前昇天教会。 敷地内にある説明板。 日本聖公会(英国国教会系)東北教区弘前商店教会聖堂のあらましこの地に宣教が開始されたのは、明治29年(1896)で、現聖堂の建築は米人宣教師シャーリ・H・ニコ…
前回の弘前カトリック教会の200m南西に、それより4年早い明治39年(1906)建てられたプロテスタントの教会がある。 木造なのに石造のように堂々とそびえたつゴシック様式の、日本基督教団弘前教会。 設計は教会の長老・桜庭駒五郎だが、施工は堀江佐吉の子・…
弘前の街には、古い教会建築も複数残っています。 明治43年(1910)築の弘前カトリック教会教会堂。 設計はオージェ神父ですが、施工したのは堀江佐吉の弟、横山常吉。 弘前カトリック教会教会堂明治6年(1873)に切支丹禁令が解除となって弘前にも布教が広…
弘前を縦断する土淵川のそばの中心街 にも歴史的な建物が残っていた。 明治16年(1883)竣工の呉服屋店舗だった建物で、大正時代に銀行店舗となり、平成10年まで支店として使われていた。 弘前市立百石町展示館のあらまし(市指定文化財「旧青森銀行津軽支店…
前回の旧弘前市立図書館のすぐ東側には、旧東奥義塾外人宣教師館の瀟洒な建物が残っている。(右端の赤屋根が図書館) 建物1階にはサロン・ド・カフェ・アンジュがはいる。おいしいアップルパイなどがあるそうで、賑わっていました。 自分たちは、お腹は満た…
弘前市庁舎の東側に広場を挟んで庁舎側を向く、優美な建物がある。 明治39年(1906)に竣工した旧弘前市図書館。手がけた棟梁は、前回エントリの青森銀行記念館と同じく堀江佐吉(1845~1907) 20年くらい前に弘前に来たことがあるのですが、この建物のこと…
弘前には明治時代の壮麗な建築も、いくつか残っていました。 弘前公園外濠沿いの交差点から見えた洋館! 青森銀行記念館。 正面に公園からファサードを鑑賞できます。 玄関前から。 木造が感じられるところが「明治」だと思います。 引いた位置から。素晴ら…
弘前には前川國男建築が8棟あるが、今回その内の5棟を巡った。 その5棟目が「弘前市緑の相談所」で昭和55年(1980)、前川國男75歳時の竣工。 西の庭側から。 入口のある南側から。アーチ型の屋根を持つ独立庇がついています。 屋根は西側・南側の2方向への…
今回の木村産業研究所は昭和7年(1932)築、前川國男27歳時の建築家デビュー作。 弘前市庁舎から南に徒歩9分の住宅街に立地。 現在は、弘前こぎん研究所として使われています。 ほぼ全面ガラスの玄関扉を内側から。 背面側に、こぎん研究所の入口扉。 廊下の…
弘前公園の南向かいに位置する弘前市役所庁舎も前川國男建築で、竣工は昭和33年(1958) 庁舎前のポストにはリンゴの置物があり、岩木山や桜並木も背景にできる撮影スポットになっていました。 左の建物が弘前市庁舎ですが、4階建ての2階の庇が大きく張り出…
前回の弘前市立博物館の南隣にある弘前市民会館も、前川國男の設計です。 竣工は昭和39年(1964)なので、博物館より12年早い。 ホール棟を東側から。 コンクリート打放しの壁面ですが、型枠には青森県産のヒバ材が使われているそうです。 南側へ回ると、ホ…
弘前公園内の南西側(三の丸)には、日本近代建築の巨匠・前川國男が設計した施設が2つ、隣り合って存在します。 そのひとつが弘前市立博物館で昭和51年(1976)の竣工。 建物全体を収めよう南東側から撮りました。木々の背後が主役です。 室内はエントラン…
弘前れんが倉庫美術館のすぐ近くには、弘南鉄道大鰐線のターミナル・中央弘前駅があります。 駅舎の中は文字が溢れていました。奥には展示室のような「案内所」 出札口からホームを。 懐かい雰囲気の改札口。 ホームは1つでシンプル。 土淵川の対岸から見た…