2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧
前回までは小丸川の北側を下流から上流に遡るように古墳を巡ったが、今回からは南に8㎞下り、一ツ瀬川を挟んで西都原の対岸(東側)に展開する祇園原(ぎおんばる)古墳群を訪ねる。 最初に、群中で一番北にあった92号墳・大久保塚へ。 県道からも姿が見える…
グーグルマップで「古墳」と入力すると、永山古墳のさらに西2kmに木城村(きじょうそん)古墳というピンが立っていたので、 そちらへも行ってみた。山塚運動公園が南に隣接するので見学しやすいのではないかと予想しながら。 林道のような細道を上がると駐車…
川南古墳群の見学後は永山古墳とピンが立つ場所へ向かった。 直線距離は1.5㎞ほどだが一旦台地を降りて切原川を渡り、再び舌状台地へ上がる。北側からアプローチしたら、車のすれ違いが難しい細いくねくね道だった。 グーグルマップの導きで、無事目的地に到…
前回のつづきの川南(かわみなみ)古墳群。 11号墳を見学後、に側に戻り、33号墳から見えていた”仲良く”並ぶ2つの前方後円墳へ向かった。 畑の向こうに前方部をこちらに向ける30号墳(左)と31号墳(右) 30号墳の前方部をアップで。 30号墳の墳丘に上がらせ…
前々回の続きの国指定史跡・川南(かわみなみ)古墳群。(2020年3月8日) 北東側の49・50号墳から台地を一段降りて主要エリアへ向かう。 道路沿いの案内表示を入る。 そこにあった説明板。前方後円墳が24基もある。西都原が全盛を迎える前は、こちらが優勢だ…
今日のニュースで、あの事故から15年経ったことを知りました。 その日、テレビで流れた映像に衝撃を受けましたが、15年前に自分が読者であったブロガーの方(鉄道系の内容だったと思いますが、結構頻繁に見てました)が事故に巻き込まれていたことを後で知っ…
前回の持田古墳群の見学後は、北西側に3km離れた川南古墳群を訪問しました。どちらも見学・訪問というより、”通りすがった”程度になりましたが… 小丸川支流の切原川を遡った場所。最初に、マップ上に「川南茶畑古墳群」と記されたポイントへ向かってみます。…
前回に続いての持田古墳群。 34号墳から再び古墳が集中する”畑エリア”に戻って、目に入った前方後円墳は14号墳。 畦道から墳丘へ近づく。菜の花の先の前方部端に縄囲いが。 中央に穴が。 ズームしましたがピントがずれました。石室開口部でしょうか。 前方部…
前回の支郡の1.5㎞西北西に持田古墳群の主要部があった。 畑の中などに多くの古墳が、前方後円墳の場合は後円部を北西側に向けて展開している。 「持田古墳群」のピンの場所に立っていた案内板。 国指定史跡 持田古墳群案内図指定年月日 昭和36年2月25日この…
南九州古墳旅の2日目は、高鍋町にある持田(もちだ)古墳群の支群から。 泊まったホテルから1.2㎞北、標高60mほどの台地上に立地。 坂道を上がった角に見つけた最初の墳丘(左から上がってきました) 上記の右の枝道へ入ったときの風景。目の前の斜路を左へ…
この日の最後に訪ねた場所が児屋根塚(こやねづか)古墳。 茶臼原古墳群の一つで、前回の轟地区の1.7㎞東にあった。 その説明板。全長108mの、堂々とした前方後円墳。築造時期は5世紀前半。 国指定史跡 茶臼原(ちゃうすばる)古墳群茶臼原古墳群は、九州山…
茶臼原台地南裾で一ツ瀬川の近い千畑古墳(標高30m程)から、700m北東の台地上(標高130m程)へ上がると、畑の中に円墳群がある上野地区。 県道313号(杉安高鍋線)のすぐ南に展開する。 畑に入らないようにアプローチ。 トラクターの跡が墳丘を避けているの…
西都原古墳群見学後は、一ツ瀬川を挟んだ北側の茶臼原(ちゃうすばる)台地に立地する古墳群を訪ねた。 茶臼原古墳群は、西から上野地区、轟地区、春日地区の大きく3つの地区に分かれるが、まずは西端の国史跡・千畑(ちばたけ)古墳へ。 グーグルマップのナ…
前回の第3古墳群を見た後は、男狭穂塚・女狭穂塚の北西側に立地する円墳2基へ車で向かった。 閉鎖中の考古博物館をぐるりと左回りに。 進んでいくとJAFの支援を受けている場面に。故障のようだった。 止まった位置から、ちょうど169号墳が良く見えた。 なん…
第3古墳群北端の265号墳から南へ戻る。 整然とした円墳群。 振り返っての265号墳。 第3古墳群の南端には、階段の付いた円墳・111号墳がある。 表土を除去して、築造当初の葺石を見学できるようになっていた。 墳頂には、重なるように埋葬部の印が。 そこにあ…
第3古墳群は西都原古墳群の北端にある。 道路脇からパノラマで。 一面に円墳。その間の小道を奥へ歩いていく。 大きめの墳丘へ上がらせていただく。標柱に156号とあった。 墳頂から西側を。奥の建物が宮崎県西都原考古博物館。 西都原古墳群に来て最初に(「…
第2古墳群には駐車場が2か所あって550mほど離れている。 前回の92号墳まで歩いてきてから一旦南側に停めた車に戻って北側へ動かした。以前のエントリで、広いので車で回った方がよいと書きましたが、全部廻る場合は歩きのほうが行ったり来たりしなくてよいか…
前回の急階段(石貫階段と言うそうです)の上から北側に目を向けたところに、全長96mの90号墳(大山祇塚:おおやまづみづか)がある。 手前が前方部右裾。 前方部先端裾に、地鎮祭で見られるような縄囲いがあった。 11月29日の秋の例大祭では神社と共に、こ…
第2古墳群の駐車場(南側)は、第1古墳群の駐車場から400mほど北に離れている。 39基を含む古墳群は台地の東縁に沿って南北1㎞ほどに細長く展開する。 マップは左が北。 駐車場のすぐ東の83号墳は全長84mの前方後円墳。 パノラマで。右奥(南) に台地が小さ…
西都原の第1古墳群、右端に後円部が写っているのが前回の13号墳で、左がその北側に続く35号墳。目の前の円墳は22号墳。 22号墳は35号墳の陪塚という想定で調査もされている。 22号墳22号墳は、墳径16m、墳高2.5mの円墳です。大正2年(1913)4月1~11日の間に…
前回の1号墳から見えていた13号墳は、きれいに形を整えてられた三段築成の前方後円墳。 木々のところが台地端になる。平地部から見上げられる立地で、築造時にはその姿を遠くまで誇示していたのでしょう。 裾にあった説明板。比高差2.6mの傾斜地に築かれてい…
西都原古墳群の南端、第1古墳群エリアを駐車場から少し入って見渡して。 大きな円墳があると思って近づくと、前方後円墳だった。 側面をパノラマで。 説明板によれば46号墳で、全長80m超・後円部高は8m近い、第1古墳群最大の前方後円墳。 46号墳46号墳は、第…
前回のつづき。 300基以上を擁する西都原古墳群には、稠密度の高いエリアが三か所あり、南に第一、東辺に細長く第二、北に第三と古墳群の名がついている。 それぞれに駐車スペースがあって見学しやすい。というより、広大なので車か自転車で巡ることをお勧め…
独特な外形の「鬼の窟(いわや) 古墳」は、南北に長い史跡内のほぼ中央にあった。ガイダンスセンター「このはな館」駐車場の目の前。 道路沿いには西都原古墳群全体の案内板。 マップの黄色い丸印は、ほぼ全て古墳。あまりの数に、たじろぐ。 解説と、わか…
前回の女狭穂塚古墳の西側に、寄り添うような墳丘があった(左奥) 雨で濡れた草を、よけながら歩こうとしたが、かなり靴が濡れてしまった。 きれいな形の墳丘は復元だが、171号墳は西都原古墳群で唯一の方墳だった。 その説明板。 171号墳 再発掘調査 平成1…
国の特別史跡に指定されている西都原(さいとばる)古墳群は想像していた以上に大規模な古墳群だった。 一ツ瀬川を海から10km強遡った中流右岸、西都市街地西側の比高差40mほどの舌状台地上に立地する。 宮崎市街からは20kmほど北にあり、宮崎空港から直接車…
前回の清水神社前にあった説明板に、400mほど北の清水寺裏山に4基で構成される円墳群が所在しているとあったので、そちらも訪ねた。 山門前に由緒書。古墳のことには触れていないが、紫福山(しふくざん)清水寺(せいすいじ)は臨済宗妙心寺派で、創建は承…
前回の松本塚古墳の1.5㎞ほど南東に、清水・西原古墳群のピンが立っていたので立ち寄った。 導かれていったのは清水神社。鳥居の脇に清水(きよみず)古墳群の説明板があった。 ここも県指定史跡。前方後円墳2基を含む。 県指定史跡 清水古墳群昭和9年4月17…
国指定史跡の松本塚古墳は、前回の永野古墳群の1.5㎞南東にある。 二こぶの墳丘が近づいてきたところで1枚。 きれいな形の前方後円墳。右が後円部、左が前方部。 前方部左裾が道路にかかっていた。 現地説明板。墳頂104mの前方後円墳で5世紀後半から末頃の…
永野古墳群は前回の常心塚古墳の5㎞北東、西都原古墳群に並行する舌状台地の南側に立地する前方後円墳。 三納川左岸の国道沿いに永野古墳群、松本塚古墳、清水・西原古墳群が、1.5kmおきに点在していた。 永野古墳群1号墳は自動精米所の裏手に。 後円部墳頂…