墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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最勝院五重塔~鏡ヶ丘記念館~袋宮寺 青森県弘前市銅屋町・新寺町

弘前には江戸時代明暦2年(1656)に建立された五重塔もある。

弘前れんが倉庫美術館から南西に徒歩8分、土淵川北側の台地上に立地。 

 

小雨模様でしたが、ここもほぼ満開でした(訪問日2021年4月17日)

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拝観料を納めて最初に本堂に参拝、振り返っての参道。

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一方通行になっている参道を回り込んでいくと塔の下に出ました。

いただいたパンフによれば築造時期は全高31.31m(内、相輪の長さが3分の1)で、国指定重要文化財では日本最北端の五重塔になるそう。

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弘前藩初代藩主津軽為信の津軽統一の過程で戦死者を敵味方区別なく供養するために、4代藩主信政が建造。

1991年の台風で被害を受けましたが全面解体修理されて美しく甦っています。 

 

最勝院から西に150mほど、青森県立弘前高等学校の門を入った右手に、明治27年築の旧青森県尋常中学校本館の主要部がきれいな形で残されていました。

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門の脇にあった解説板。

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旧青森県尋常中学校本館(青森県立弘前高等学校鏡ヶ丘記念館)
明治26年、青森県尋常中学校の校舎として建築を始め、翌年1月11日落成しました。工事を請け負ったのは川元重次郎(川元組)です。昭和32年新校舎建設の際に、同窓生等の要望により本館の主要部を残すことになり、現在地に移され「鏡ヶ丘記念館」と名付けられたものです。
東北地方で明治時代の旧制中学校の校舎が残されているのは、福島県郡山市の「福島県尋常中学校本館」(国指定重要文化財)とこの建物だけであり、平成5年7月19日青森県立学校最古の木造校舎として、発見された棟札とともに県重宝に指定されました。
弘前市

 

建物前から門の方向。左側の木の陰に背面側が見えている袋宮寺(たいぐうじ)も訪ねてみました。

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駅で入手した「ひろさきガイドマップ」に県下最大級の木造仏と紹介されていて興味を持ちました。

北側道路から参道を進むと、最勝院とは対照的な静けさ。

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中で参拝可と貼り紙があったので扉を開けると、暗がりに浮かびあがったお姿の迫力に思わずうわっと声が出てしまいました。

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近くへ寄らせていただいて。

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像高は約6m。

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それほど大きくないお堂に目いっぱいで納まっています。

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ご尊顔を。

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置かれてあったパンフによれば、江戸時代の延宝5年(1677)に造られた木造の十一面観音菩薩立像。詳しい調査がされていないが、背面3カ所にほぞがあって当初は光背があったと思われるそうです。

伝承では江戸時代前期を代表する仏師松雲元慶(1648~1710)が彫ったとされるが作風からその可能性はなく、これだけの像を刻み得る仏師は津軽にはいなかったため、江戸もしくは上方から下向してきた仏師によるものであろう、とも書かれていました。

武家屋敷町並み(弘前市仲町伝統的建造物群保存地区:旧岩田家、旧笹森家、旧伊東家、旧梅田家)・石場家住宅

弘前公園の北側の仲町には数棟の武家屋敷が昔の地割の中にあり、江戸時代の風情を残しています。

東端の旧岩田家住宅から西端の旧伊東家住宅までは徒歩10分ほどの距離。

 

旧伊東家生垣の前に、地区全体の解説板がありました。

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国選定 弘前市仲町伝統的建造物群保存地区
(中略)
弘前城の城下町は南北に長く東西に短いほぼ矩形の弘前城を、自然地形を活かしながら四方から取り囲むように配置された。今は搦手門となっている北門(亀甲門)が当初の弘前城の大手門であり、その北側に亀甲町と呼ばれる一筋の町人町をはさんで、数か町の侍町が配置された。この侍町を仲町を呼んでいるが、保存地区はこの地域のほぼ3分の2、面積約10.6ヘクタールの区域である。
保存地区は往時の地割をよく踏襲しているほか、道路沿いに連続するサワラの生垣、点在する門や板塀、前庭の樹木が独特の景観を生みだし、前庭の奥に建つ木造真壁造の主屋とともに城下町の雰囲気を残している。
近年多くの伝統的な町並みが大きく変貌しているなかにあって、江戸時代の武家屋敷街の景観を今に伝える地区として重要である。

 

旧岩田家住宅の前の”メインストリート”の西方向を。 奥には岩木山。

現代の住宅も多いですが電柱が地中化され、昔の地割や生垣・植木などが良好な景観を形作っています。

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生垣や植木越しに茅葺屋根。時代劇が撮れそう。

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重厚な門も。

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どの建物にも管理の方がおられて室内に上がることもできました(無料)


旧岩田家住宅は19世紀初めの築で、柱や小屋組み、茅葺屋根などはほぼ建築当初のもの。この場所に建てられたたもので、敷地やその利用形態も江戸時代からほとんど変わっていないそうです。

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どの家も室内は簡素で、暮らしていた方々の質実剛健の雰囲気が伝わってきました。

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一部の部屋では天井裏も見えました。

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こちらはこの地区(保存地区内の小人町から平成24年に移築)に現存する最古の武家住宅・旧笹森家。

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屋根傾斜のなだらかな平屋。

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この建物は国の重要文化財指定を受けています。

宝暦6年(1756)の台帳に佐々森(笹森)傳三郎の家として平面図が記載されているそう。

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梁などに当時の部材が残っています。

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”メインストリート””の突き当りに黒塀があり、奥に2軒が並ぶ。

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黒塀のすぐ後ろには19世紀初期築の旧伊東家住宅。弘前藩医を代々務めた伊東家にわたったのは19世紀中ごろだそう。昭和55年に元長町からこちらに移築。

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簡素ながら重厚な雰囲気のお座敷がありました。 

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旧伊東家を玄関の反対側から。

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その背面に旧梅田家住宅。

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嘉永年間(19世紀中頃)に建てられた一般的な武士の住宅。建築年及び当時の居住者を推定できる建物として貴重だそう。

昭和60年に在府町から移築。

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天井の無い部屋で見上げた屋根裏。

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雨戸が開いていた部分から見えた向かいの旧伊東家。

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以上が武家住宅ですが、同地区南端・外濠脇の道沿いにには現役の商家・石場家住宅もあります。

築造時期は江戸時代中期と推定され、津軽地方の数少ない商家の遺構として国の重要文化財に指定されています。

代々清兵衛の名をなのり、弘前藩内のわら工品や荒物を扱っていた商家だそうです。

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入口前には「こみせ」が付きます。

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お店の中に見学用入口があり、入館料100円を納めて奥へ進むと広々とした土間空間に出ます。

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上記の右側の部屋は奥行が深く。

展示室のようにきれいですが生活されている場です。

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劇場の舞台に上がっているような気分になりました。